知ることがスタートだと改めて思う。

食事をするときにお祈りをしてからいただく
創造主神様に感謝をささげる事を知ると
それは、挨拶をするように当たり前なことですが

日本では、祈ってからごはん食べるという風習がほとんどないため、

祈っている私を見て、姪っ子(3歳)に

「何でいきなり寝ているの~???」と言われ

つい、爆笑。

たしかに、そう見えるわな。(^_^;)

「神様にご飯をありがとうございます。って伝えていたんだよ」と説明しましたが

¿(・・)?

というかんじで

「神様」という単語が分からなかったみたいです。

神様がどんな方なのか。
なぜ祈るのか。

知ってみると、呼吸みたいなことなのですが
知らないと、違和感があるもの。。。

私が摂理に出会う前から
信仰を持った人達に遭う機会が割とたくさんありました。
どうして、そのようにできるんだろう。
不思議でした。

見よう見まねでしてみて、何か感じるものがあるような無い様な・・・
と思ったりもしましたが

摂理に来て、バイブルスタディはじめ主日の説教でチョンミョンソク先生から
お祈りについてや
神様と共に生活することについて
教えてもらって、
さまざまな疑問を生活の中で教えてもらったことをやってみながら
消化して、神様を知って近くしていくことが
人生の一部になったなぁ・・・・・と回想しながら

今度来たときには、かみさまの紹介を少しずつでもできたらと思う伯母でした。

死ぬべき考えとの遭遇。

白黒はっきりさせたがる私は、和とか成しにくい傾向にあるとおもわれます。。。
(煙たがられる存在だと自分でも思う。)

どちらかというと、
あいまいなのが嫌なだけで、自分が正しいとか誇示したいわけではないのですが、
(でも結局、私が正しいという主張が根底にはあるのかもしれない。。。)

 

女性は柔らかくて穏やかであるべきというイメージを持っている人からすると私は
女性らしくないだろうし、私も自分のことを女性らしいとか思ったこともないです。
(女性とは?を考える前に人間とは?とか考えるタイプだからかも)

 

 

そんな困った人が、どんなふうに社会生活しているかというと

チョンミョンソク先生の姿を思い出して、自分作りしています。

 

今日、私の対応にあからさまに不快感を示されたお客さんがいました。。。
いろいろ状況を何度も頭の中で再生して見えてきたことは、
私がもっと死ななければならないという事でした。

わたしの視点からすると、お客さんの話している言葉に矛盾があったり、
私にケンカを売るような言い方をわざわざしてくるところがあったり・・・
(少し前だったらケンカ買っていただろうけれど、買わなくなってきてはいる自分を発見しちょっとうれしかった)

なんだ~?
と思いつつも、比較的、冷静に対処していたのですが・・・
ちょっと気分悪いことをあからさまに示されて終話という一件となりました。。。

結局、私が相手に満足を提供できなかった私の落ち度なので繰り返さないように
天と反省会をしました。

 

 

次回に生かすべき点は見えてきたのですが、
もっと悟ることがある・・・と
なにかを、もっと祈り求めるべきだという感じがしたので、
これは、悔い改める(天と自分を遮る壁をとりのぞく)チャンスか?と思い
聖霊様、私が気づくべきこと気づいて悔い改められるようにして下さいとお願いしました。

そうしたところ・・・・

チョンミョンソク先生が嘘をついて謝らない弟子の為に、祈り続けた話を思い出しました。

その弟子に、「あなた嘘ついているでしょ」というよりは
「私がちゃんと教えてあげられなかったから、あのようにしてしまいました。申し訳ありません。」
とその弟子の為に涙で祈ったそのエピソード。。。

私の場合は、私も相手もどちらも改善すべき所がある状況なのですが、
チョンミョンソク先生の姿から
ひたすら善で返す人格とは、
相手の良心が生きるような接し方をすることなのだということを
悟らせてもらいました。

相手の良心が生きるように・・・
相手のために祈りながら、接する事。

また一つ人間として必要なことを教えてもらえて感謝な出来事になりました。

 

私の「自分中心の考え」がもっと死んで、
神様の愛と平和を成す考えが私の頭に新しく生まれるように、
学んだ御言葉を行なって、私の悪がなくなるように
もっと実施訓練します~