死生観。

人間がどのように死ぬか、死に方が問題ではなくて、どのように生きるか、生き方にある。
It matters not how a man dies, but how he lives.

たまたま、目にした一文。

これ、わたし中高生の時に考えていた。
どのように生きるか。どのような生き方をしたら、後悔ないのか。

そんなこと考えるよりは、偏差値高い大学に行くことが人生には必要だと言われても
どうしても、気になっていた。
そんな私が思いもよらず、摂理でバイブルスタディを学ぶようになった。

世間では、カルトだとか
被害者がいるとか
言われているようだが、

自分の目で確かめて、今に至る。

自分の不甲斐なさはあるけれども、
後悔のない生き方をしている。
それだけは確かだよ。
安心してねとあの頃の私に言ってあげたい。

自分を大切にするっていうこと。

自分の価値とか、命の価値。
そういうの、どこでわかるのか?
知ることが出来るのか?

そういうこと考える瞬間がありますか?

わたしは、自分の価値ってやはりわからないし、
大したことがないといまだに思っている、不信仰者です。

そんな人がなんで摂理にいるのか?

ふり返ると、奇跡を見たかったから。です。

自分が生きていくことに希望持てなかったから、
希望持てる様になったらそりゃ奇跡だなと思った。そんなこと起こるだろうか?
そういう、懐疑心からです。
そう疑い深い私は聖書のイエス様の言葉に何度もたてついていたなと思い返します。
(ほんとうに、天は懐が深いです)

奇跡は、自分が投資した分、確かにありました。

しかし、この奇跡は個人レベルなのです。
家庭レベルでも若干奇跡は起きていますが
まだまだ、奇跡を見たいです。
もっと民族、世界レベルの奇跡を見たい欲があるようです。

奇跡は、天を知る時に見ることができる

そう思います。

自分の価値、命の尊さ。
それは自分を作った存在、人間という存在を神様がどんなふうに見て考えて
永遠までを計画してらっしゃるのか、知ること、悟る事からくるんだと
摂理で引き続き学び中です。

卓上の空論ではないから、自分の粗と不甲斐なさとかもろもろ向き合いますけれど
根本は人知を超えた愛そのものである神を知るってことか~と
落ち込むたびに思います。

そんなリアルな生活です。
自分を大切にするってこと。
よくわからなかった私にはいいところです。摂理って。

散文でスンマセン。