家族の良いところをちゃんと見つけられるようになったワケ。

どのくらい自分が良い方へ変化したのかをふと感じる瞬間があった。

家族どうしのプチもめごとが起きた。
結局は家族ゆえの心配からのもめごとなのだが・・・
妹がもう一人の妹のことで、いろいろと責めてしまっていた。

わたしも、過去心配のあまりに色々と過ぎたことあーだこーだ言ってしてしまっていたなぁ。
と思うのと同時に
今は
当事者がどれほど今の状況に対峙してふんばってがんばっているのかを理解したほうがいい。
そういう考えでとらえるようになっていることに気づいた。

そして、
父に対しても、自分が傷ついたことがいろいろあって良い所を認めて敬うことなどが出来なかったけれど
今は、父のいいところをちゃんと見つけて認められて敬えるようになっている!!ことにも気づいた。

なんでだろうか?

「自分の視点で見ると心が冷たくなるが、神様の視点でみると心が温かくなる」

それが少し出来るようになったんだなと実感した。

冷たい心で、不毛なやり取りをするしかなかった自分と家族が
だいぶ変わってきたのは

「より良い所を見る」
肯定的な神様の寛容さに触れて包まれたからだ。

普通に出来る人もいるかもしれない。
けれども、いろいろと機能不全なところがあることを気づいて
いろんなメンタル系の本を読んでも、結局自分が癒されて、自分がその愛に包まれない限りは
出来ないなと打ちのめされた過去がある自分。

ひねり出そうとしてもできねぇと思った自分。
そんな自分が、変わったのは
「祈り」と「みことば」とおして
生活のなかで神様の愛を知ること、それだった。

結婚したときはこんなんじゃなかったんだけれど・・・
と漏らす母に、それでも父のこういうところがいいよね
そして、私が変わったから、みんなも変われるよね
神様の愛を知るならば。

そんなススメもできること、しみじみ神様の御業だと感じる。

紅葉がステキ。

久々に高速バスで甲府から新宿へ向かったところ

中央道の山間がステキな紅葉🍁

曇り空とのコントラストでいっそう鮮やか。

淡いグラデーションが絶妙で

神様の芸術を感じる。

 

そんな中

ふと、昔

チョンミョンソク先生が紅葉が嫌いだったと言う話をおもいだした。

 

人の心が変わりやすい

あまりにも変わってしまう姿と重なって

見るのが辛かったそうだ。

こんなにキレイなのに、そこまで傷つくことがあったんだなと

自分の想像以上の辛さがあることを知った。

一体、何があったのかわかった時

どうか、先生の痛む心が癒やされるように

先生のように、心に傷を負っている人すべてが癒やされるように、

紅葉の美しさをそのまま

感じられる時が来るように

そんな祈りをしたことがあった。

祈るしかできないが

やはり祈りたい

神様の癒やしが、すべて人にありますように。