希望はシャボン玉ではない。

私が摂理にくる前は、「希望」とはシャボン玉のようにきれいだけれど、

現実に触れば壊れるようなもので、実体がない心を慰めるものという意味でとらえていた。

摂理に来てから、人生の根本と目的をはっきりと知るようになったから、
現実の問題を大きな視点で見ることもできるようになったから、
取捨選択が新しくなった。

その中で、本当の希望は
自分が神様の御言葉で「考えて・行なう」時に、実体を見ることが出来た。
私の生活で
私個人に希望がシャボン玉ではないということが実証されたから、
恐らく、このようにこうだで、次のレベルで何か還元が出来るはずだと思う。

行なって確認ができる御言葉があるから、やってみたいとおもう気持ちが生まれる。

シャボン2

Amazing!

感嘆して、驚き仰ぎ見るような気持ちは
御言葉で自分が人生、生きる中で持っていた疑問が解かれる時に起こるけれど、
海を越えたアメリカ大陸でもそうなんだな~とアメリカメンバーの証を聴いて思った。
日本にはクリスチャン少ないけれど、人生について真面目に考えている人はこの証聴いたら、摂理のバイブルスタディーってどんなか聴いてみたくなるんじゃないかな。