諦めそうな時にやめたくなる時に、思い出すこと。

伝えたことが伝わらない時、、、力が抜ける。

特に文章で伝える時にそういうことが起こりやすい。(LINEとか。)
認識や捉え方の違いで、すれ違うだけでなくて、伝えたいことが届かないという時、
もう止めよう。時間の無駄だ。
もーいいや。めんどくさい。と思ってしまう。

そういう時に、
「じゃ先生はどうしているか思い出してみて。」と私の中のもう一人の私が言ってくる。

先生は、伝わるように、分かるように

ものすごい努力と工夫をされている。

なぜそこまでするんだろう。。。

私たちが「知ること」で生きることができるから。

先生の食べる時間、眠る時間など削ってまで書いているのに、
その御言葉を理解し行わなかったら
どれだけ力が抜けるだろうか。

先生の血肉を削るような努力を、
どこまでわかって差し上げただろうか・・・
熱が出ても、頭が痛くても、耳鳴りがして集中できない時があっても、
それでも御言葉を書き送ってくださった先生。

神様の願われることを命を懸けて伝える先生の姿を思い出すと、
その生き方を見ると
私がすることはものすごく小さな事だと、本当に思うしかない。

だから、もう一度神様が願うことを考えながら
「やってみよう」という心になる。

たしかに成されたこと。

冬の大地の様な凍った心に、春の様な日差しのように心に響くことば。
「もう大丈夫。あなたは一人ではない。」

摂理で御言葉を聴いて、雪解けの様な温かい涙を知るようになった。

主は氷をパンくずのように投げうたれる。
だれがその寒さに耐えることができましょうか。
御言葉を遣わされれば、それは溶け
息を吹きかけられれば、流れる水となる。

詩篇/ 147篇 17節~18節

22年前、こんな本がどうして聖書なんだろうかと思った
旧約聖書の御言葉を実感する日が来るとは夢にも思わなかった。

時を超えて、人の心をつかむ神様の御言葉。
生きている神様を感じるから、今日も御言葉で呼吸をするように生きたい。