何様からの脱却。

自分の立場だけで、自分の見えることで考え始めるいわゆる、自己中心に陥ると
感謝の「か」の字は地平線くらいに遙かなたな場所へ行ってしまっているなと痛感した。

社会保険にもちゃんと入れて、有休もとれて、シフトもほぼ自分の申請通りにとおる
すごい祈った通りの職場なのに、
神様に対しての感謝が失われていることをはっきりと感じた。

業務の慣れによるおごり、繁忙期の忙しさ、さまざま目に見える環境を
そのまま「見て感じたこと」に考えが流れると「何様なの?」状態が起こるのだなと
改めて、気づかせてもらった。。。。

イスラエルの民がエジプトで懇願していた奴隷生活から抜け出させてもらったのに、
約束の地、カナンへ行く過程で
「エジプトでは肉もニンニクも食べられたのに、荒野では水さえ飲めない・・・」肉体思うこと感じることをブツブツつぶやいて、時には導いてくれるモーセのことを不信したり悪口言ったりして、神様の心を悲しませたことを思い出した。。。

私も同じだ。
なんて勝手なんだろう。人間は。。。

こーしてください。と切実に祈ったことが成されたことに対しての感謝が本当に足りなくて、薄情だ。と言われても仕方がないというか、それ以上に非情さを感じる。。。

聖書の事例を思い起こさせてくださり、悔い改める心を与えてくださったこと感謝した。

聖書を最近読めていなかったのですが、
自分の青年部のチームで聖書通読激励キャンペーンがはじまり
聖霊様の導きにいつも感謝します。

悔改めたら受け入れてくださる本当に神様の懐の広さを感じます。。。
そして、神様のしてくださったことを、忘れない
常に感謝し続けるチョンミョンソク先生の心とその姿勢に頭が下がります。

昔話じゃなくて、リアルに「今」につながっていること。

聖書を読むと人生の転換点の力になることを改めて聴いた。
話してくれた方は、
仕事場で非常に困難な部署に配属された時に、「これはカナンの地だ」と思って
バラバラで険悪だったその部署で、一人ひとりの良いところだけが良く見えるようにして下さいと祈ったそうな。。。

それでどうなったか?というと。。。。
チームとして業績を出せて会社から賞をもらう快挙を成し遂げたとのこと。

「カナンの地」
神様が乳蜜流れるという表現がある豊かな土地。神様が与えると約束した場所。
400年のエジプトでの奴隷生活を経て、そのカナンの地へ行ったモーセ率いるイスラエルの民たちが
約束の地、カナンを見た時、自分たちの不在の期間に先住民族がすみついていた。
見たままを見た偵察部隊のほとんどの人達は、神様の約束を信じられず、ヨシュアとカレブだけが神様のおっしゃった通りの土地で素晴らしいといった。
結局、カナンの地に入れたのは神様を信じてその御言葉通りに行なった人々だった。

困難な状況でも神様が下さった約束・御言葉を信じて行なって行くときに、
考えられなかった奇跡が起こる。

カナンの地・神様の祝福も自分がただその場所に行くだけで得られるものではなく、
得るためには「行なう」ことだという教訓というか、安易なご利益主義的な信仰ではないこと感じる。

神様は祝福して与えてくださるが、受ける側、受け取れるように、心・考えの器を整えることと
自分が行なって労苦することがあることを神様と共にすることが乗り越える味だな~とこの方のお話しを聴いて、改めて思った。

カナンの地に住み着いている先住民族とは、その当時は実際その通り先住民族だったが、
これを今の時代に適用して考えると、

先住民族=神様の考えと異なる考え(憎しみ・血気等)

カナンの地を手に入れるために、追い出すべき「否定的な考え」「争う心」「諦める心」「怠惰さ」「血気」等もろもろ叱りつけたり等・・・・
捨てるべきもの・追い出すべきものを
考えから切って捨てて追い出して、神様と共に行なう自分に作って行こう~\٩( ‘ω’ )و ///

と思って一日始めます。