力が抜けない方法。

分かって損を被ることがないように、変化と成長が出来るように神様が教えて下さったこと。

力が抜けるのは、
確実に、完全に行わなかったから。

最後まで行なわなかったから。

確実にやっておかなければ
時間が過ぎると、やっておいたことがぼやけるか、消えるから
後であなたの生(せい)を振り返った時
残っているものがないように見えるのだ。

キリスト教福音宣教会 摂理の御言葉

たしかに・・・ぼやけている理由は確実に行なっていなかったからだと納得。

確認して行なうこと。
諦めないで、成し遂げるまで行う事。
つまり、「自分なり」の頑張りではないのだと思った。

御言葉を行うことも
ある程度だけあなたの気に入るように行うのではなく
その御言葉があなたの生活になり、生になる時まで行うのだ。

キリスト教福音宣教会 摂理の御言葉

Amen!
はっきりと変化できる御言葉ゆえに、
行なってこそ無から有が創造される。もがきの傑作品になるのだ。

私は、力をすべて注がなくても、成したときに、
できる時までやったときに、最後までやったと言う。

最後まで成せずに終わらせることは、
過程の中で諦めることと同じだ。
したがって、はっきり完全に行わなかったことだ。
できる時まで行うことが最後までだ。

一つのことをするとしても、はっきり行うことだ。

キリスト教福音宣教会 摂理の御言葉

しびれるような、そのはっきりとした精神を私の中に入れて生きたい。
自分の満足で行わずに、神様が願われることを完全に行なおうとされる
チョン・ミョンソク先生の姿を思い出すと、そのように生きたくなる心が自然と湧いてくる。

知るという朝日、希望という平安。

自分の考えが悪いということわかっていても、
それをどうやって直せばいいのかわからず・・真っ暗闇だった時がある。

摂理で御言葉聴く前のは私の考えは、石橋叩きすぎて壊して渡れず否定的八方ふさがり。
私の心は、いつも恐れと不安で満ちていて
私の思想は、生きる意味がなければ今日死んでもいいのかな。。
私の性格は、長所皆無、短所の塊。

だった。

御言葉を聴いて、神様の法(何が善くて悪いのか)を知るようになって、
それに基づいたお祈りをするようになって、
恐れとか不安がいつの間にか霧のようになくなり、
私の狭くて低い考えが、神様の視点で高く広く見れるようになって、
赦せないという怒りが解かれて、
自分自身の悪い考え(否定的な考え)で傷だらけなっていた心が
聖霊様と御子主によって癒されて、諦めと絶望の気持ちが満ち満ちていた私に
夜明けの様な平安が訪れた。

「どんな<成分>なのかによって、「毒薬」になり、「生化学」反応を起こし、
「おいしい食べ物」になり、「からだにいい薬」になります。
これと同じく、人間がどんな<考え、心、思想、性格>なのかによって、
「命」になり、「愛」になり、「殺人」になり、「憎しみ」になり、「戦い」になり、
「理想世界」になり、「天国」になり、「地獄」になります。
-摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師の御言葉より

 

Amenその通り。
同じ肉体なのに、考え・心がちがうだけで、
同じ場所にいるとしても見え方、感じ方がちがう。
だからもっと考え直して心を作って、思想と性格を改善することができる希望がもえる。

もっと御言葉学びたい。
行なえる御言葉を教えてくださること心から感謝。