転んでみて分かること。

おととい派手に転んで、歩く時に少し右足を引きずる感じになっています。
そして背中や首や肩や腕などなどあちらこちらに打撲とその余波のような痛みがあり
サロンパスさんにお世話になっている毎日です。

祖母が年末に転んで以来、家の中でもしばらしく「おっかねぇ、おっかねぇ」と言いながら杖をついていたんですが、少しだけその気持ちが分かりました。

自分の心と体が一致しない転び方をするとほんと恐い。
そして、痛い。
体の痛みだけでなく、ついて行けなかった出来事にココロもなんだかショック受けてしまいます。

祖母の杖の意味が少しリアルにわかりました。

痛みを知ることで、誰かの痛みを少しだけでも想像を超えて考えられるってこと久しぶりに思いだしつつ、
祖母の心のことを考えて接しなければいけなかったんだ・・・と気づけなかったことを気づけて良かったです。

あと内出血で紫というか黒くなっている両ひざよりも、太ももやら、両腕やら、お尻、腰も痛く、
首や肩にまで影響が出ていることに「このように、体って影響し合うんだなぁ」と体の相互作用というか連帯性におどろきました。

「キリストは頭であり、あなた方は手足である」この聖句の深さと重要さを文字通り痛感。

手が足の働きが出来ないように、それぞれが大事な存在だよ。
そういう意味でおっしゃったと思いますが、
怪我をする度に「体のどの部分も大事すぎる」って感じるしかなく、聖句の深いメッセージ性を思い知らされます。

怪我したところを自然とかばうようになったり、怪我しているせいで動きにくくなったりするこの不自由さを通して、
体全体が健康・無事であることがどれほど大切なのかそして、普通に稼働できる状態がどれほど素晴らしいことなのか
当たり前なことが当たり前であるようにあることがどれほど大事なのかを身につまされます。

このようにこうだ。
兄弟姉妹の為に祈ること。
国や世界の為に祈ること。
大事だなぁとしみじみ思いました。

チョンミョンソク先生はいつも細かく民族世界の為に祈っていらっしゃるのは
ベトナム戦争の体験や、ご自身の極貧の生活を通して
「体験」をもとに祈られているんだろうなぁ。。。
そう改めて思う瞬間でもありました。

先生の様々なイキサツについて
まとめられている
鄭明析(チョンミョンソク鄭明析)牧師の公式サイト⇒His Life
こちらで確認をされることオススメします。

摂理に戻ってきたメンバーの話。

去るのも自由ですが、戻るのも自由。

しかし、戻ってくる方のほうがあまり多くないのが事実。

 

なぜ摂理に戻ってくることを選択されたのか

聴く機会もなかなか、ない。

そういう現実に風穴が開くようなサイト

摂理に最乗車

なぜ乗車なのか?それは摂理から離れることを「下車」と言う表現があるのかもしれないですが、どうであれ

ふたたび摂理を選んだ理由それが綴られています。

摂理のネガティブなハナシを聴きたい&知りたい方にはミスマッチかも知れませんが、事実を知りたい方にはオススメです。

人生が充実して順風満帆な方がどうして宗教を?摂理を?と疑問に思う方は摂理(キリスト教福音宣教会)のバイブルスタディを一度聴いてみると理由が分かるかもです。

離れる理由は様々あるとしても

戻って来られた方がたの共通点

「戻って来れて良かった」

その一つが大きく特徴的。

その想いに嘘偽りがないのが分かるサイトです。