民話と聖書の違いってなんじゃらほい。

山梨ネタばかりで恐縮の限りですが(^_^;)
running中に富士山と八ヶ岳を見比べる時に、ふとある民話を思い出したのです。

富士山と八ヶ岳がどちらの方が高いのか背比べをしたというお話し。

富士山も八ヶ岳もどちらも高い山だけれど、一体どちらが日本一なの?と。
ある日、はっきりさせようということになりました。
目立った差がなかったため、どうしたら一目瞭然にわかる方法があるだろう?と考えあぐねたところ、よし竹を割ってそれぞれの頭に載せて、水を流しどちらに流れていくかそれで低い方がわかるだろう!という方法を取りました。
ながーい竹を探してきて、真っ二つに割って、そこにお水を注ぎました。
そして、とうとうと水が流れて行ったのは富士山の方でした。


しかし富士山はその結果を認めがたく、審査に使った長い竹を日本一は私だ!と喜ぶ八ヶ岳さんの頭に振り下ろして八ヶ岳の頭をぶっ叩いてしまいました。
そのために八ヶ岳は今のように八つに割れてしまったのです。。。という民話。。。です。

その民話を聴いた幼子の時は「そうかぁ山もより高い方がイイ!と思ったりするのか~」なんて思ったりしましたが、
今さらながら、八ヶ岳が頭かち割られてそうなったのだよね~というその発想が非常に恐ろしい。。。
嫉妬って怖いよね。みたいな感じで絵本に描かれていました。

人間のいろんな感情を事物に投影したりするのは民話や神話に多いですが、聖書は神様が人間にくださったメッセージ。
人間に伝えたいメッセージを森羅万象を通して伝えてくださっています。

一人ひとりが大事な存在なんだよ。
比べることは出来ないんだ。ということ、それを100匹いる羊の中で1匹いなくなったらその1匹を探し続けて見つけたら99匹にも勝る喜びがある。そういう、たとえ話をイエス様がしてくださっています。

自分も神様の前ではそういう尊い存在なんだってこと。

それを教えてくれる聖書ってみんなに必要な書物です☺

摂理にいるメリット、デメリットは何か?って。

メリットって表現は妥当ではない気がしますが、

おととしより去年がより楽しく

昨日より今日を、より新しく生きることができる。

同じことの繰り返しにならず、

そしてマンネリにも陥らない。

これって何気にすごいこと。

しかし

その反面、「この程度でいい」という安楽さが無いことです。

そんなことを、ふと思ったのは

成り行きで教会行事に少し関わることになり、改めて自分と違う個性との会合に、戸惑い通り越して正直、理解しがたいものが生じたことが発端です。

理解しがたい時って、イッキに否定的な考えにアクセルが入ってしまい目的成されなくなるので、これはイカン。

小休止的に祈ってみたら

「理解しようという機会だよ」と言う天の声を受け取れました。

その時、イライラより「どうやったら、より良く出来るのか?」そういう方向にハンドル切りつつ、Createしよう!と言う新しい感覚のギアチェンジになりました。

自分の考え方で爆発しなくて良かったと改めて思いました😌

まだギアチェンジしただけなので、目的地向かってるさなかなのでまだまだイロイロあると思いますが、よりよく自分を作る機会にしたいと思います(自戒のごとくココに記す)

やはり怒ること遅くあれ

互いの荷を背負い合え

って聖書にある通り😅

 

自分の足りなさ見つけて認める時に、

より生まれ変われると感じる

そんな日曜日でした🐣

善良な人から学べることってやっぱ大きいなあと。

Chanceくださった神様に感謝✨