ミコトバが全部おなじに聞こえるという時。

以前、摂理で主日の説教、御言葉(ミコトバ)を聴いて

全部おなじように聴こえる。。。とおっしゃる方のお話を伺いました。

たしかに、大切な部分は繰り返して教えてくださるから

そう聴こえる部分もあるということなのかな?と
思いきや

どうして繰り返しておっしゃるのかが分からない

とのことでした。

 

毎回、祈ることが大事だと言われるけれども

なんで、そう言うんだろう‥

そう話されていました。

 

「祈ったらいい」とは

本人が実際してみたらその意味がわかるんじゃないか?

ありのままに自分の思いや願い求めを神様に伝えたら良いのではないか?

するか、しないかは個人の自由だけれど

しないまま、なぜそう言うのかなあ?と不思議に思うよりは

自分がやってみたら理由が分かるんじゃないだろうか

そうお伝えしました。

 

とても素直な方で、
確かに今まで率直に神様に聴いてみたり、求めることがなかったと。

「いろいろ固くかしこまって考えているところがあったのですが、
知りたいことなどをそのまま神様に訊いてみます」

とおっしゃり、
実際そのようにして見たそうですが、

 

どうだったかというと・・・・

 

主日の御言葉で答えをもらった。

 

と、スッキリした顔をされていました。
受け取る側の心の器が

願い求めて聴く心の器なのか

なんとなく聴く心の器なのか

それによって、違ってくるなぁと
その方のすっきりした顔を見ながら、

また私の過去から、今に至るいろんなことを通してもそう思います。

 

 


牛乳を飲んだコップを洗わないまま、オレンジジュース注いだら・・・どうでしょう
あんまり飲みたくない気がしませんか?
オレンジジュース・オレが好きな方は別かもですが
わたしは、オレンジジュースはオレンジジュースで飲みたい派であります(^_^;)

心の器を祈る事で洗ってから御言葉を聴く時の爽快感。
わたしは自分の心があまりよろしくない分、祈りの効果を実感します。。。
貧しいものに優しい神様の大きな愛に心いっぱいに感謝です。

 

献金ってどういうものか。

摂理に来る前から、礼拝に参加する機会が私にはあったので、献金ってどうしたらいいのだろうといつも気になりました。

どのくらいの金額をいれたらいいのだろう・・・・とか疑問がありました。

摂理に来てから、礼拝について教えてもらったり
献金についてもどんなものか教えてもらいました。

献金とは神様に感謝を捧げること。
貧しいやもめ女が生活費全部を捧げた時のイエス様の仰った
「だれよりもたくさん入れたのだ。 」というエピソードや

神様は全部を持っている方ゆえに「従順は捧げ物にまさる」と聖書にも書かれているように
神様の御言葉を守る事。行なうことが一番神様が喜ばれるけれど
どうして献金を捧げるのか?
神様がくださった祝福に対して、感謝を表す行為をすることでまた祝福を受ける
という神様の法則・約束であると旧約聖書に書かれていると、聖書を通して教えてもらいました。

 

また、チョンミョンソク先生がどんな風に神様に捧げてきたのか
しわくちゃの紙幣をアイロンでのばしたり、お金をピカピカに磨いて捧げたというエピソードや
お金がない場合は神様に時間を捧げたというその先生の真心。
金額ではない。
真心をどのように表すのか。

原理原則でありながらも、根本は愛と真心の世界だと、先生の実践エピソードとおして学ばせてもらいました。

神様がしてくださったことを思い返して、一つ一つ感謝する思いを表現する事
それが大事。

有り余るものの中から一部捧げるのではなくて、
自分の持っているものの中で一番良いものを捧げる心。
そのような天への敬拝と感謝。

どのようにしたら一番神様が喜ばれるだろうか?と
いつも研究しながら
より新しい自分と
真心を捧げられるように
天と自分という関係を生活のすみずみまで省みる時に、捧げる準備となる
そのように感じます。

決まった額があるというわけではない、心情と愛の世界
深いです。