力が抜けて、何も考えたくない時。が、実は成功するための過程・チャンス。

「力が抜けて、何も考えたくない時。
その時は<チャンス>を使いなさい。<体の鍛錬、脳の鍛錬>のチャンスだ。」
摂理の御言葉より

どういう話かというと「考えを鍛える。そうしてこそ、成功を得られる」ということだ。

上手くいかない時
力尽くして全力でやったけれど手ごたえ無かった時
力が抜けるし何も考えたくないだろう。

しかし、そういう時が、成功を生み出す過程でありチャンスなのだ。

セールス・営業でどん底から頂上に昇った人達の共通点がある。

なぜ売れないのか?を正しく理由を見つけたのだ。

ある人は、東北の方言のなまりが強くてそれを隠そうと頑張るあまりにぎこちなく、堂々と話せなかった。
堂々と話せない・商品の良さを伝えきれないせいでお客さんに不安感等を与えてしまうという理由を見つけたそうだ。

それから方言を隠そうとせずに、自分の個性として見せるようにして対話するようにした時
相手も心を開いて話してくれるようになり業績が瞬く間に変化したそうだ。

またある人は、話をするけれども、結果出せない状況の中で、対話とは何か?
過去感動した対話を思い出し、ある法則を見つけてからは売れるしかない状態なったそうだ。
そして、その法則を本にしたり、講演もするようになった。

共通項は、売れないという「力が抜ける」現状を通して自分の中にある答えを見つけ出したということだ。
目的を成すために考えること。少しでも考え・行なうことが大事なんだと学ぶ。

 

力が抜けた。何も考えたくない。そういう時が成功への過程、必要な時なのだ。チャンスなのだ。

力が抜けた・考えたくない。そういう時にそのまま倒れてしまうとどうなるか?成功を得られないままになる。残念。

でも、どうしても力でない。そんな時はどうしたらいいか?。
まず、どうしてできないのか?と責めたり、どうせ自分なんかと思ったりしないで
たった一人しかいない自分を見つめる事。

また別の表現でいうならば、

神様が自分をどう思っているのか?を感じられるまで祈ってみること

「摂理の笑顔」こちらのブログにある「自信ない時に思い出してほしい、3つのこと」おすすめ)

人間の視点と神様の視点は違う

参考聖句「天が地よりも高いように我が道は、あなた方の道より高く、我が思いはあなた方の思いよりも高い。」

旧約聖書イザヤ書55章9節

人間は目に見える世界を一喜一憂するしかないが、神様はその人の心だけではなくて未来までも見て一緒に考えてくれる。
神様に考えを尋ねることで新しい方法・新しい考えをもらえる。

なぜならば神様は絶対善いことだけしか予定していない方であり、
神様は人間が尋ねることを待っているそうだ。
また、人間の本当の連れ合いは神様なんだとチョン・ミョンソク先生は教えてくださった。

参考聖句「あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主」旧約聖書イザヤ書54章5節

先生ほど逆境と練達の連続のような方は見たことが無い。
その中で神様の愛を悟って、その御言葉を伝え続けてくださっている。

<力>といったら神様だ。聖霊様だ。御子だ。三位一体は「力」で存在なさる。「全能なる力」だ。
太陽のような力で存在なさり、宇宙の重力のように存在なさる。
その力で「宇宙と地球、霊界」を全てお治めになる。
三位はその力を「御言葉」でくださる。そうすることによって「愛の力」まで受けるようにさせる。
だから人間が三位と一体になって「その御言葉」を受ければ「神の御力、神の力」を受けるようになる。
‐その力を受けなさい!

鄭明析牧師の明け方の箴言より

生きる力。それは考えから来るし、考えは神様の御言葉から力をもらう。

でも、力を受ける前に癒されるべき所がもしあれば聖霊様に癒してもらう必要がある。

そのためにもまずは祈り願い求めること。

「悲しんでいる人たちは幸いである、彼らは慰められるであろう」
マタイによる福音書5章4節
「求めよそうすれば与えられる」
マタイによる福音書7章7節

心の畑~マタイによる福音書~

 

 

お師匠が教えてくれた御言葉の中で、まっちゃんが好きな話の一つに

「心の畑」

の話がある。

この話は、聖書の

<マタイによる福音書13章>

に書かれている。

 

★★★★★★★★★★★★★★★

肥沃1

@takanakoubou

イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、

 

「見よ、種まきが種をまきに出て行った。

まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。

すると、鳥がきて食べてしまった。

鳥

@www.hirosegawa-net

ほかの種は土の薄い石地に落ちた。

そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、

日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

石地

ほかの種はいばらの地に落ちた。

すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。

茨

 

ほかの種は良い地に落ちて実を結び、

あるものは百倍、

あるものは六十倍、

あるものは三十倍にもなった。

Sprouts of young garden wild strawberry grown in a nutritious fertile ground

@jp.depositphotos

耳のある者は聞くがよい」。

<マタイによる福音書13章3~9節>

★★★★★★★★★★★★★★★

j

@windychapel

この後に、弟子がイエス様に

「どうして譬え(たとえ)でお話になるのですか?」

と話す場面がある。

つまり、この話は「たとえ」なのである。

では、一体どういう「たとえ」なのだろうか?

お師匠は、

「聖書の中の問題は、聖書の中に答えがある。」

と教えて下さった。

よく読むと、

<マタイによる福音書13章18~23節>

でイエス様が「たとえ」を解いて教えて下さっている。

 

★★★★★★★★★★★★★★★

種2

@seeds.gldplants.

そこで、種まきの譬を聞きなさい。

 

だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、

悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。

道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。

石地

@jp.123rf.

石地にまかれたものというのは、

御言を聞くと、

すぐに喜んで受ける人のことである。

その中に根がないので、

しばらく続くだけであって、

御言のために困難や迫害が起ってくると、

すぐつまずいてしまう。

茨

@new-mu.seesaa

また、いばらの中にまかれたものとは、

御言を聞くが、

世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、

実を結ばなくなる人のことである。

肥沃

@www.biodic.go

また、良い地にまかれたものとは、

御言を聞いて悟る人のことであって、

そういう人が実を結び、

百倍、

あるいは六十倍、

あるいは三十倍にもなるのである」。

<マタイによる福音書13章18~23節>

Sprouts of young garden wild strawberry grown in a nutritious fertile ground

@jp.depositphotos

★★★★★★★★★★★★★★★

ここに出てくる「畑」は「心」で、

「種」は「神様の御言葉」だ。

 

また、「いばら」とは、

「自分自身の中にある悪い考えや性格」

の事だとお師匠が教えてくれた。

 

お師匠は、この聖句を読んで、

自分の中にある「いばら」のようなものが

「自尊心」

「怠惰」

「高慢」

「我慢できない性格」

「血気」

「強情」

などの性格だと分かり、

それを一つ一つ取り除く為に毎日努力したそうだ。

朝

@and-plus.

明け方、朝早く起きてお祈りに行っていた10代の時。

どうしても「怠惰」が出て、布団から起きれない日があった。

そうしたら、どんなに嫌でも

「遠く遠いところまで山を超えて走る」という試練を自ら課して、

「自分が自分自身の監督になって鍛えた」そうだ。

R1

@www.dex.

 

この聖句にある「良い地」のように、

自分の心が「善良な義なる心」に完全に変わるまで、

お師匠は、

何度も何度も自分を練達して磨いてきたと仰った。

 

「何故そこまでするんですか?」

そう聞くと、

 

「神様が願っていらっしゃるからだ。」

 

「善であってこそ、善なる神様と通じる事ができるからだ。」

 

そう仰った。

お師匠の精神は、

 

「ひたすら主・神様」だ。

 

どんな時も、神様が最優先。

自分の考えよりも、神様の考え。

 

いつも神様に仕え、愛し、敬って生きる生。

 

それがお師匠が「実体」として見せて下さった生き方だった。

先生9

@matome

誰よりも聖書のイエス様の御言葉を実践し、

誰よりも神様を愛して生きた人。

 

その切実で、一筋の心が、本当に美しい。

善良な畑」はまさしく「お師匠の心」だと心からそう思うまっちゃんでした。