繊細さ。

「繊細」ってナイーブみたいな印象を持っていたが、忍耐を底力として尽力を座右の銘にするような
成功をするための秘訣なのだとこの御言葉で学んだ。

「繊細にやりなさい。やる時にやりなさい。束ねてあげ、縫ってあげなさい」

摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師2016年8月21日主日礼拝説教

今日、目が覚める寸前に夢の中で誰かが
「繊細さとは目的を成すための力・要素だ」と言っていた

それで、繊細さについて1日中考えて過ごすことになったのだが・・・・

繊細さ。
それは、目的を成すために必要なことをキチンとわかってちゃんと行なうことだとおもった。
言い換えると、わかっているつもりではなく、わかったから行なう・わかったことを行なって
目的を成すための過程を成すようなものだと思った。ゆえに、[繊細さ]が抜けた場合は失敗する。

細かい必要な過程をキチンと経てこそ針1つができるように

成型工程表面処理工程
自分がすべきことについてもそうだということ。

根本を掴みながらも、裂いてみること。
限られた時間の中で最高に目的を成すために、どうすればいいのか
今週もっと研究していこうと思った。

参考:クロバー針のすべて製造過程より

力が抜けない方法。

分かって損を被ることがないように、変化と成長が出来るように神様が教えて下さったこと。

力が抜けるのは、
確実に、完全に行わなかったから。

最後まで行なわなかったから。

確実にやっておかなければ
時間が過ぎると、やっておいたことがぼやけるか、消えるから
後であなたの生(せい)を振り返った時
残っているものがないように見えるのだ。

キリスト教福音宣教会 摂理の御言葉

たしかに・・・ぼやけている理由は確実に行なっていなかったからだと納得。

確認して行なうこと。
諦めないで、成し遂げるまで行う事。
つまり、「自分なり」の頑張りではないのだと思った。

御言葉を行うことも
ある程度だけあなたの気に入るように行うのではなく
その御言葉があなたの生活になり、生になる時まで行うのだ。

キリスト教福音宣教会 摂理の御言葉

Amen!
はっきりと変化できる御言葉ゆえに、
行なってこそ無から有が創造される。もがきの傑作品になるのだ。

私は、力をすべて注がなくても、成したときに、
できる時までやったときに、最後までやったと言う。

最後まで成せずに終わらせることは、
過程の中で諦めることと同じだ。
したがって、はっきり完全に行わなかったことだ。
できる時まで行うことが最後までだ。

一つのことをするとしても、はっきり行うことだ。

キリスト教福音宣教会 摂理の御言葉

しびれるような、そのはっきりとした精神を私の中に入れて生きたい。
自分の満足で行わずに、神様が願われることを完全に行なおうとされる
チョン・ミョンソク先生の姿を思い出すと、そのように生きたくなる心が自然と湧いてくる。