チョッパヤ、一汁二菜と共に回顧。

今日は母がおともだちとご飯食べに行くから父のことをよろしくと頼まれたのもあり、
チョッパヤ、一汁二菜を作った。

メニュー:
大根を
千切りに近い棒切りで「だいこん油揚げの味噌汁」と
「だいこんサラダ」(かつおぶし・ポン酢)
ピーマンも
千切り気味で「ピーマンと牛豚合いびき肉炒め」(味付け:ニンニクのスライス・焼き肉のたれ)

材料をババーッと切って、味噌汁用大根は鍋に、
炒めものは、ニンニクのスライスをオリーブオイルできつね色にしてから、ひき肉を入れて味付けを投入。
色が変わったらピーマンを入れて1,2分炒めて火を止めて余熱でピーマンに火を通す。(←こうすると色が変わらなくていいかんじになる)

時短ポイントは、火が通りやすい千切り風な棒切りとひき肉と焼き肉のたれ。

正味、約15分でつくれます。
簡単で早ウマです。
つくづく私の料理は料理っていえないな~と思いながらたべました。。。一人で。

そう、せっかく作ったのに父はテレビに夢中で私一人で食べ終わりました。

いろいろ、言いたくなる気持ちが腹の奥から
わ~ってこみあがってきました。
が、こういう心・気持ちで何か話してもいいことはない。と重々振り返って、もう一人のわたしが私を止めてくれたのと、
これは、あれだ、血気と憤りってやつだ。こういう時、チョンミョンソク先生ならばどうすると思う?とまで私に問いかけてきました。

先生、先生ならば隣に主が、神様がいらっしゃると考えて行動するだろうな。
そして、
私が見た先生は、相手にとって良い事が認識できるように丁寧に教えて下さっていたなと
そういうことを思い出しました。

でも、私は先生の姿をトレースした接し方ができないレベルだということを、痛感しました。

摂理に来る前だったら、こんなん、いろいろ考えなくて、わ~っと自分の気持ちをただ爆発させて終わっただろうな。。。
先生に会わなかったら、神様の視点で考えるなんてしなかったな。
そんな、回想のような、つぶやきのような思いが錯綜しつつ
父の姿を通して、私もこのようなことを天の前にしているのではないかと、申し訳なくなり・・・・
自分の為にしてくれていた、母や天の愛に感謝が全く持って足りなかったと
反省をするに至りました。。。。
でも、まだ父に対しては物申したくなる気持ちがあるので、もう少し天の前にひざまずいて
回顧しながら反省しようと思います。
そんな、まるでだめお的一家の日常の一コマでした。
m(__)m

家庭内問題も結局コレか。

母が父に対してご立腹し、ぷんぷんしている母から事情を聴きながら夕食をともにした。
話を聴きながら、最近、チョンミョンソク先生から教えてもらったことを思い出した。。。

認識によって人は判断し、選択する。

その認識が自分の偏った見方、バイアスである場合、問題が生じる。
「自分の認識」と「事実」が違う事があるのだ。

しかし、大問題なのは、それを当事者が分かっていない・きづかないということ。
父がそれを自覚しない限りは、実は問題が解決されない。

心の中で、「では、神様いったい、どのように対処したらいいのでしょうと。」
SOSを発信してみたところ
「祈ってあげなさい」、そういうインスピレーションと
「生活の中で助けてあげなさい」という主日礼拝で聴いたメッセージが頭をかすめたので
実践のチャンスじゃーん。っと、母にバイブルスタディで得た争いをなくす為の秘訣を少しだけ話した。

確かに少なからず父に非があるため、母の言い分は正論でもある。。。
母は度重なる父の自己中心的な言動に腹を立てていたのだが、第三者の私からすると
言葉にはなっていないが、多少は済まなく思っている心が感じられた。
良心が生きていてよかった。と思った。
「言葉にしないと届かない」という母の意見はごもっともだが
何が問題なのかその核が神様によって解かれるし、そうしてこそ真の和がなされることを母に伝えてみた。

自分の観点は、相手の心を見落としてしまう事があるのだが、
神様の観点で見る時は、自分の心も相手の心も生きるようになるのだ。
そして、争わせようとする悪なる存在に対してどのように戦うのかその術を知ってこそ
私たちは神様の心に近づくことが出来る。

母にどの程度、届いたのか未確認だが
神様の助けがわれらに臨むことを確信しつつ、
成されるまで、挑戦するしかない
家庭天国を希望的に目指そうと改めておもった。