母が、祈った日。

母はアウトプットが苦手なタイプ。
なので、一緒にお祈りをする時はわたしが祈ることばかりでした。

上手く話すことが大事なのではなくて、
心から真実な言葉を神様に告げることにひたすら集中するだけなんですよ~
おかあーさーんと何度もお伝えしてきたのですが、
頑として「自分には出来ない」といってはや10年近くとなっていました。。。

困ったニャーと

なんども、頭抱えておりました。

やはりこれは神様に助けてもらうしかない。
母、みずから祈りたくなりますように。
祈る必要性が実感わくようになりますように。
とお祈りしました。

そうしたある日・・・・
母に再度、祈ってみようよ!というチャンスが来ました。

夫婦で続けている社交ダンスの昇級テスト大会。
毎日部活のように夜練習し、週末は関東各地で催されている大会に出場している2人。

ここの所、惜しい結果が続いているとのことなので、「お祈りしたり、神様に感謝しながらダンスしたり、しているのかな?」と訊いたところ・・・「していない」と。

チーン。

以前、神様に感謝してダンスしてみたら違うよ?と母にお伝えし、実際、祈りと感謝で神様にダンスを捧げたところ
まさかの入賞・優勝をしたこともあったのです。
が、いつの間にか、スポーツ根性で(母は半世紀以上ソフトボーラーでもあります(^_^;))練習・大会に臨んでいたそうです。

やはり毎日新しく知ることが大事ですね、どうしても神様に感謝して捧げる体質が作られるまでは意識して考え・祈ることを自らできるように助け続ける必要があるのだなぁと思いました。。。

なかなか、忙しい母を捕まえることに、ちょっとあきらめがかかっていたのですが
意を決して一緒にご飯食べる瞬間を掴んで
「今の所、わたしたち日々健やかに生活出来ていること本当に感謝だよね。生命保険の営業さんがチラシをくばっていたけれど、30代半ばでは20人に一人、40代では10人に1人が三大疾病(ガン・脳卒中・心筋梗塞)でなくなるし、50代だとそれが5.4人に一人という統計なんだってね。今私たちが生きていることはすごいことなんだね。感謝だね。」と切り出して見ました。
そして、
「神様に体を与えて下さり、ダンスも出来るようにして下さり感謝です~と伝えるようなダンスしてみたらどう?お祈りしてからダンスするといいと思うよ」と提案したところ、母は、神様の存在は認めてはいるのと、お祈り自体はイイ事だと思ってはいるようで、そうだね。そうしてみようという反応でした。

伝えるべきことは、伝えてみたので、あとは母が少しでも神様に祈れるように~とお祈りしていました。
祈らない時と祈る時の違いがよくわかるようにしてくださいと。

そうして大会が終わり結果を訊いてみたところ、昇級出来た!とのこと。
ワオおめでとう!と伝えつつ、
感謝のお祈りを一緒に捧げるときに、お母さんから祈ってねとお願いしたところ、「うん!」と返答が来たのです。

何とーーー!!とこころの中では、←のように驚きつつ、

一緒にお祈りをしました

お祈りの中で母は
「朝祈ったとおりに、全然緊張しないようにしてくださり感謝します。」といっていました。

あぁやはり、神様が働きかけて下さることを体験させてくださったんだなぁ。
そして、本人が祈りたくて祈るようになるんだなぁと感じました。

わたしも過去自分が神様がしてくださったことを改めて感謝する機会になりました。

はっきりと祈る事で
はっきりと神様を感じられる。
それが、祈りたくなる秘訣だなと改めて学ばせてもらいました。

チョッパヤ、一汁二菜と共に回顧。

今日は母がおともだちとご飯食べに行くから父のことをよろしくと頼まれたのもあり、
チョッパヤ、一汁二菜を作った。

メニュー:
大根を
千切りに近い棒切りで「だいこん油揚げの味噌汁」
「だいこんサラダ」(かつおぶし・ポン酢)
ピーマンも
千切り気味で「ピーマンと牛豚合いびき肉炒め」(味付け:ニンニクのスライス・焼き肉のたれ)

材料をババーッと切って、味噌汁用大根は鍋に、
炒めものは、ニンニクのスライスをオリーブオイルできつね色にしてから、ひき肉を入れて味付けを投入。
色が変わったらピーマンを入れて1,2分炒めて火を止めて余熱でピーマンに火を通す。(←こうすると色が変わらなくていいかんじになる)

時短ポイントは、火が通りやすい千切り風な棒切りとひき肉と焼き肉のたれ。

正味、約15分でつくれます。
簡単で早ウマです。
つくづく私の料理は料理っていえないな~と思いながらたべました。。。一人で。

そう、せっかく作ったのに父はテレビに夢中で私一人で食べ終わりました。

いろいろ、言いたくなる気持ちが腹の奥から
わ~ってこみあがってきました。
が、こういう心・気持ちで何か話してもいいことはない。と重々振り返って、もう一人のわたしが私を止めてくれたのと、
これは、あれだ、血気と憤りってやつだ。こういう時、チョンミョンソク先生ならばどうすると思う?とまで私に問いかけてきました。

先生、先生ならば隣に主が、神様がいらっしゃると考えて行動するだろうな。
そして、
私が見た先生は、相手にとって良い事が認識できるように丁寧に教えて下さっていたなと
そういうことを思い出しました。

でも、私は先生の姿をトレースした接し方ができないレベルだということを、痛感しました。

摂理に来る前だったら、こんなん、いろいろ考えなくて、わ~っと自分の気持ちをただ爆発させて終わっただろうな。。。
先生に会わなかったら、神様の視点で考えるなんてしなかったな。
そんな、回想のような、つぶやきのような思いが錯綜しつつ
父の姿を通して、私もこのようなことを天の前にしているのではないかと、申し訳なくなり・・・・
自分の為にしてくれていた、母や天の愛に感謝が全く持って足りなかったと
反省をするに至りました。。。。
でも、まだ父に対しては物申したくなる気持ちがあるので、もう少し天の前にひざまずいて
回顧しながら反省しようと思います。
そんな、まるでだめお的一家の日常の一コマでした。
m(__)m