ペテロを父に伝えました。

摂理のバイブルスタディー初級編の一つである「ペテロと魚」を伝えました。

約束はしていたけれども父は早出かつ、仕事後おでかけもしていたので若干おネムな状態。。。
いろんな意味でむずかしいかな~と思って
ソロソロと近寄り話しかけてみたところ、「お、いいよ。」というかんじで始まりました。。。

父にはじつは4,5年ぐらい前に何回か初級のバイブルスタディをいくつか伝えたことがありました。
壮年部(ご結婚されてから摂理の会員になられた方々の部署)のメンバーからも伝えていただきました。

でも色々あり、そのまま頓挫していたのです。
最近、帰省した摂理メンバーの妹によると「お父さん、聖書とか信仰とか良く思っていないから無理だよ」と言われたばかりだったのですが
父は「慈しみふかき」という讃美歌が実は好きだったり、
昨年、やまなし礼拝を捧げた時には、会場に現れていたり(これは後でわかった情報)して、
まんざら倦厭しているわけではなさげと思ったので
ま~だめもとだしねと
ふたたび心のドアをノックしてみました。

忘れているだろうな~と思ったのですが
意外や意外

 

「これ、あれだろ、たとえなんだろ。なんか前、教えてもらった話な気がする」

とおっしゃり、覚えていた!!!

 

と驚きました。

 

 

 

心のバリヤがまだあるので、まだまだこれから~かんじではありましたが
父が自分から「最近、キリストの映画を観たぞ、なんか病人を癒していた」とか話しだしたり
「キリスト」=メシヤという単語は知っていた事に、私にとっては結構おどろくべきことでした。
「そのまま文字通り信じろっていう話と、意味があるだよという話、お父さんはどっちを聴きたい?」と
究極的な質問を投げてみたら

「そりゃ、文字通り信じろってのがありえんな~」

とのこと。

 

 

私の条件・力不足のため、残念ながら、

聴いて、なんか感動したとか。
認識の転換が起こったとか、

そういうことはありませんでしたけれど、思ったより話ができることに
聖霊様の感動感化と天使たちの応援を感じました。

 

 

今年、父は来月末に退職をします。
今後何をしようかなと言っているので、

父の人生の道を御子主よ導いてくださいと祈りながら父との歩み寄りを成そうと思います。

 

 

母の変化。

コミュニケーションがデッドボール的なわれら一家ですが、
祈りと御言葉を学ぶようになり、
私と妹も和平を結びつつあり、
そして、母もまだ信仰に至ってはないとしても、父とのやり取りが少し変化しているのを気づきました。

 

父が、あまりにもちゃんと話してくれないために母にもどかしさ、辛さが生じる事が多いのですが、
それを通して、このようにこうだなんだよ~と
神様に告げるべきことを告げる事が大事なんだよと、一緒にお祈りするときに伝えたのですが、少しわかったようです。
「わたし(母)は祈る事できない~」って毎度言っていたのですが、
最近は挑戦しようとしています。(さすが実践の年の威力、神様の導きを感じます。)
神様が嬉しい心で聴いてくださるんだということが少し感じられたようです。。。。

 

最近、自分の表現不足も問題だと思う・・・と母がポツリと話しました。

自分が表現すべきことを表現をしたら、相手も変わるだろうなと、思ったそうなのです。

今まで、父だけに問題があるような捉え方をずっとしてきた母が、
自分の接し方(表現不足)に原因もあるのだと思う。と
自分のことを客観的に見ることができるようになったことは
問題解決の早期実現の道が開かれたこと。

自ら認めることができたのは、聖霊様の感動感化受けている!と思いました。
心の底からhalleluiah―★