天国へいく者とは?

 

先日、小学校に上がる前の摂理の幼稚園生たちと教会の中で一緒に「折り紙」で遊んだ。

写真のような「鷲」の作り方を幼稚園生の男の子がまっちゃんに折ってくれた。

(す、すごい・・・)

この子のお父さんはパソコンが得意だから、この子もネットで折り紙の折り方を検索し、動画を見ながら折ってた。

(す、すごい・・)

プレゼントしてくれた「鷲」も、とても上手で感動した。

子どもたちと遊んだのは、お父さんとお母さんが教会で話を聞いている間だけだったが、その中ですごく感じる事があったのでブログに書こうと思う。

たんぽぽ1

@www.gotanda-church

その日は日曜日だった。

やるべきことが多かったので、少しの時間だけでも掴もうと礼拝終ダッシュで帰宅したまっちゃん。

家でお祈りをしてから、礼拝で聞いた御言葉をまとめていると、急に電話がかかってきた。

スマホ

@smaroomch

「まっちゃん、今どこにおる?」

「家だよ~。」

「今、時間ある?」

やりたい事は沢山あったけど、わざわざ電話がかかって来るということは「助けて欲しい事」があるからだろうと思って聞いてみると、

「実は、大人がいない間、子どもたちをみて欲しくて。。」

というお願いだった。

 

それで、ふたたび急いで教会に戻った。

教会で大人がいない時間に子どもたちと一緒に遊ぶことはまったく負担はないが、教会の子どもたちと最近ほとんど接していなかったから、

(まずは関係性作りからだな・・)

と考えていた。

 

丁度子どもたちが机を囲んで「折り紙」をしていたので、

そこにㇲスススス・・と紛れ込み、一緒に「折り紙」をしようとした。

 

そしたら、一人の女の子が

 

 

「まっちゃん」

 

 

と、満面の笑みで近づいてきてくれた。

 

キュン

 

である。

 

そのこは、まっちゃんの事を目の前でそう呼んでくれた事は今まで一度も無かった

(お母さんがそう呼んでくれてるので、家では呼んでくれていたのかもしれないが…)

 

☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜

 

「まっちゃん」

初めてそう呼ばれてとても嬉しかったし、

それがあたかも当然かのように、

自分から自然に近づいて来てくれたことに一瞬で心が溶かされた。

 

まっちゃんが「子どもたちの心を溶かそう」と思っていたのに、

逆に「まっちゃんの心溶かされた」のである。

 

☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜

 

聖書でイエス様が「幼子」に対してこう仰っている。

イエス

@blog.goo

イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。

ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。

それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、

幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。

止めてはならない。

神の国はこのような者の国である

よく聞いておくがよい。

だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。

そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。

<マルコによる福音書10章13~16節>

 

この女の子の行動をみながら、

(あぁ、聖書でイエス様が仰っていた「幼子の姿」とは、こういう姿を言うのだな)

と感じた。

 

純粋無垢

純粋

@ameblo

天真爛漫

純粋無垢

@girlschannel

その言葉がぴったりの姿だった。

邪気がまったくなく、

ただ嬉しくて、

ただ慕う心で

近づいてくるその姿…

 

このように近づく者を誰が止められるだろうか。

誰が拒めるだろうか。

 

本当に、天国はこのように神様を恋い慕う者の世界だなと思った★

天国1

@retrip

 

 

 

マインドコントロール。

マインドコントロール
《(和)mind+control》自分の感情を制御すること。
また、他人の心を自分の意のままに操ること。
例えば、宗教などが独自の手段によって信者の人格・精神を変革・統制すること。
goo辞書より

 

 

摂理で初めて面談してもらった時の思い出になるが・・・
衝撃が全身に走りまくった面談だった。

 

 

「<お祈り・御言葉・賛美>この3つしていれば全部、問題解けるから。」

 

 

マジか!
私の話、15分も聴いていないのにこの一言で終了。

人の心は変わりやすい。
いろんな事物で変化する。
心の波に精神という船が浮いているならば、
その波を治め、船が転覆しないようにすることが人生の問題の解決方法だというのだ。

わたしの人生の問題、長編スペクタル3時間くらい語ろうと思って準備したのに!!!
どういうこと?!
話を聴いてもらえなかったショックに面談後、少し・・・考えこんだ。

そして、考えた結果・・・

私の話を聴かずに「解決できる!!!」と豪語できるこの牧師さんと
牧師さんが信じている神様の御力・威力、
私が嘘か真か判断するには
やってみるしかない。

やらずに判断するよりは可能性にかけてみよう。

やってみようじゃないの!!!
ということで、毎日賛美3~21曲 聖書を5~10章読む お祈り5~30分挑戦してみた。
期間はおそらく1か月くらいだったと思う。

賛美・・・歌詞が心の中にしみいるように入った瞬間、涙が出てきた。
上手いか下手かじゃない。
歌詞に自分の心を込めて捧げる時に、心の奥からにじみ出るようになぜか涙が出てきた。

聖書・・・よくわからなくて、眠くなることもあった。でも、わからない所を何度も読んでみて、バイブルスタディーで聴いたこと確認した。そうしたら、歴史を通して人生の問題の核が見えてきた。

お祈り・・・わたしは今独り言を言っているんだろうかと思う時があった。けれども、自分がわからないこと・思うことをまるで人に話すかのように見えない神様に率直に話すようにしてみたところ、面白くもあり、自分ではどうにも変えられない否定的な思いが雪解けのように溶けることがあり不思議だった。

つまり、わからないことがわかるようになった。

何で賛美するのか。
何で聖書読むのか。
何でお祈りするのか。

そして、自分は問題だらけだけれど、答えは神様が持っている
自分がバイブルスタディを学ぶ中でつかむべき答えがあることがある事がわかった。

自分がやってみないと見えない。わからない。
「出来るように示してくれた牧師さんの面談は天の導きだったこと。
かーなーり後に、心から感謝した。

これをマインドコントロールという人がいるだろうか?
当事者としては、
誰かの意見や話を擦り込みなどまったくなく、
自分が出来ることをやって見た結果、
目に見えない神様が聖書を通して、お祈りを通して、賛美を通して心に働きかけてくれたことだったから、全く操られた感じはない。

また、自分の心を無理矢理、制御している感じもない。
ありのままの自分の心を神様に向けるお祈り・賛美は楽しいと思った。

「人格・精神を変革・統制」に関しては、いい感じの方向(笑わない子が笑うようになった)になされたので、家族は良かったと言っている。

わかったこと2点

マインドコントロール的なものはない
「お祈り・御言葉・賛美」は全くお金がかからない。
投資するのは時間だけ。

結論。
私の体験からすると、日本で認識・問題視?されているマインドコントロールに関して、
摂理においては皆無である。