石橋デストロイヤーズ。

今日天の導きがあり、ふだんあまり話したことがない信仰の姉妹と食事しつつ天がしてくださった奇跡について証しあう機会を頂けた。

椎間板ヘルニアを患い、摂理に来る前に何人もの医者にみてもらっては匙を投げられて、完治は諦めていたそうだが、藁にもすがるっていうまさにそんな思いで「直してください」と天に求めてみてところ、ある摂理のメンバーから紹介してもらった鍼治療で治ったそうだ。

 

歩くと神経が圧迫されて、帰宅すると30分は横にならないといけないくらいひどかったそう。4回目の鍼治療の次の日、歩いても痛くなくった癒やしを体験。

自分のなかでは諦めていたが、天に求めること委ねることがほんとうに大事だと、もっと早く天に求めればよかったそう痛感したと話していた。

わたしは、それを聴きながら信仰が有る上に働きかけられるのだなあと思ったのでそう伝えたところ

いや、ものすごい疑い深いのだと返答をいただいた。

そこから、いかに自分が不届き者かを述べ合い

疑い深く、用心深い性格。

石橋、叩きすぎて割っちゃう系だね〜我らと

意気投合。

こんな自分が摂理にいるのがすごいことだとお互いに深く頷きあった。

天の愛、懐の広さを噛みしめる時間🐣くださり感謝。

 

自分を大切にするっていうこと。

自分の価値とか、命の価値。
そういうの、どこでわかるのか?
知ることが出来るのか?

そういうこと考える瞬間がありますか?

わたしは、自分の価値ってやはりわからないし、
大したことがないといまだに思っている、不信仰者です。

そんな人がなんで摂理にいるのか?

ふり返ると、奇跡を見たかったから。です。

自分が生きていくことに希望持てなかったから、
希望持てる様になったらそりゃ奇跡だなと思った。そんなこと起こるだろうか?
そういう、懐疑心からです。
そう疑い深い私は聖書のイエス様の言葉に何度もたてついていたなと思い返します。
(ほんとうに、天は懐が深いです)

奇跡は、自分が投資した分、確かにありました。

しかし、この奇跡は個人レベルなのです。
家庭レベルでも若干奇跡は起きていますが
まだまだ、奇跡を見たいです。
もっと民族、世界レベルの奇跡を見たい欲があるようです。

奇跡は、天を知る時に見ることができる

そう思います。

自分の価値、命の尊さ。
それは自分を作った存在、人間という存在を神様がどんなふうに見て考えて
永遠までを計画してらっしゃるのか、知ること、悟る事からくるんだと
摂理で引き続き学び中です。

卓上の空論ではないから、自分の粗と不甲斐なさとかもろもろ向き合いますけれど
根本は人知を超えた愛そのものである神を知るってことか~と
落ち込むたびに思います。

そんなリアルな生活です。
自分を大切にするってこと。
よくわからなかった私にはいいところです。摂理って。

散文でスンマセン。