AIの妙技。>「「旦那捨てたい」に神回答」

どんな的確な答えを出したのかすごい気になってしまったこのニュース記事↓
「旦那捨てたい」に神回答 横浜市「イーオのごみ分別案内」、AIがまるで人生相談 「的確な答え」と話題
AIといっても、チャットボットに答えをインプットしておくタイプとのことで回答は市役所の職員の方が相談しながら用意したモノとのことでしたが・・・

《ごみの名前を教えてくれたら、捨て方を案内するよ。》

そこに投稿者が「旦那」と入力すると、

こんな答えが…。

《本当に!!「人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」ってアルマン・サラクルーは言っていたよ。忍耐力を鍛えてみたら、どうかな。》

フランスの劇作家、アルマン・サラクルーの言葉を引用した秀逸な回答に「素晴らしすぎる返し(笑)」「凄い的確なお答え」など、反応が集まっています。

wihtnews

たしかに、やんわりと軌道修正的な提案しているあたり、上級者な回答。

「チャットボットの技術は、将来的には生産年齢人口が減少する社会に役に立ち、人間に代わって働く役割で普及していくと想定しているといいます。現在の技術特性においては、問い合わせの対応や顧客サポートの領域が、特に適合するのではないかと考えているそうです。」

問い合わせの対応・顧客サポートの領域。
私の業務とドンピシャです。
じつは、私の就業先でも似たようなAI使って対応もしています。
しかし、同じ質問でも表現の仕方が異なることが多々あるので、回答をもらえるようなポイントを押さえた質問を入力をしないととんちんかんな答えが返ってくることしばしば。。。ごみの分別のような明確な場合はイイ感じのようですね。

AIの技術は創世記の「初めに言葉があった」という聖句から来ていると以前聴いたことがあります。
初めに言葉があってこの世界の全てが作られた。
そして、
食べるパンだけではなく、神の言葉でこそ生きるのだとイエス様も説いて下さっていますが、
人生の悩みってやはり神様の御言葉、によってこそ解かれるなぁと思います。

神様の御言葉をもっと頭に満たして、人生の悩みに答えとなるメッセージをお届けできるような自分になりたいものだと。

AIに負けじ劣らずとなれるよう勤しもうと思います。

ちなみに、旦那のほかに、嫁というキーワードもあったそうです。。。
結婚相手を捨てたくなるって切ないですが、

結婚をしてから摂理に出会い神様の愛を知った摂理主婦のシロさん
気難しい旦那さんをどのように愛で接したらいいのか日夜努力されている
神様の愛を地上で成そうとしているその姿からパワーを頂けます。⇒「摂理のこども  すくすく雲」:からあげと夫婦けんか

神様のもとで御心で縁を結んだご夫婦は病める時も健やかな時も、腹立つ時も、嬉しい時も
互いを天の愛で支え合って、助け合って成長していく家庭を築かれています~
結婚をすることについて、参考になること、学べるところがあるはずなサイトです。
摂理で結婚ばたばた結婚戦記

 

摂理ってあやしい団体?と思う時に判断の基準にしたこと3つ。

疑い深い私が摂理でバイブルスタディを学ぶ時に、この団体大丈夫か?と心配・不安に思わないわけがなかった。
一体どうして聴き進めたのか?その理由3つ・・・・

①我が人生の中で一番、人間不信がひどい時期だった当時、人としてありえないほどやり取りしづらい私に対して信仰をもとにアガペの愛で接してくれたこと。
当時、私自分でカウンセリングやら心療内科系の本をいろいろ読んだり、様々どうしたらマシな状態にになるのか模索してはいましたが、そもそも自分含めて人間などいないほうがいいんじゃないかと極論思うくらいだったので(←危険思想)
無害そうでいて、有害な人でした。今はどれだけ無害化されたのか怪しい所がまだありますけれど、だいぶ癒されました。
また、メンバーたちが私に対して、よくも悪くも建前ない接し方してくれたのが怪しくないと思いました。
やたらと褒めるとか、なんか気持ち悪いじゃないですか?そういうのがなかったんです。
ダサイとかはっきり言われたりしました(笑)

②この団体なんという団体名ですか?と訊いた時に、即答で答えてくれたから。
隠したり、変に話をはぐらかしたり、おどおどしたらあやしい団体だと判断し、もう話を聞くのはやめようと固く決心していました。イエス様の御名で祈った上で尋ねてみましたところ、さらっと返答があり、よし大丈夫そうだと思いました。神様にけっこう、具体的に祈りつつ訊いたので、かなりスッキリしました。(←ミッション系の学校に8年いたので、創造主神様に祈る事は一応知ってはいたので、自分自身も信じられないから、神様に運命委ねますといろいろと祈っていたのでした。)

③日本古事記よりも古くて長い歴史かつ、
世界で2000言語以上に翻訳されている聖書を無理矢理な解釈をしていなかったから。
無理矢理信じろとか脅すようなこというならば即聴くことやめようと思っていました。
そして、悪い宗教団体によくありがちな、金銭の提示もなかったからです。
むしろ山梨から通っているからと言って、ご飯おごってくれたり、常にもてなしてくれて、
本当にお世話になっているからと言って、親が新米が収穫できたら教会の方に送っていました。

というわけで、超個人的な基準なので、あまり参考にならないと思いますが
色々あったことをかなりギュッと集約してみました。