適性が無いこと、わかった時どうするか考えた。

コールセンターの仕事から転職しようかという現状を綴った記事を書いたところ、
「コールセンター業務=神経すり減らすと。」誤解を生じさせてしまい(^_^;)

たしかに、事実書いてなかったのでコールセンターのイメージがなにやら漠然と悪くなってしまわない為にも、この記事を書いている次第です。

転職の動機は

マッチングがイマイチかなあという現状なのでした。

①1日にお子さんの体調やら学校行事やらで6人休まれてしわ寄せが直撃することがデフォルト的背景に、私タイピングの速さはあるため、早く履歴を残せてしまう分、対応件数が多くなることが自然の流れで怒涛のごとくとなり、体調に響くようになる。

②もともと自分のコミュニケーション能力の欠如による弊害が仕事に支障あたえていること。当たり前なことができないから、失敗しながら学ぶしかないですが、この労力は会社の評価制度から外れるため対価にはならず…

①、②の理由から転職を検討しているのでした。

仕事って、なんにせよラクをしようとしたら辛くなり

たのしくしようとするならばマッチングかもしらんと思う日々です。

 

私の家族は両親それぞれちょっと特殊な家庭事情等により、
肯定的な言葉をかけるとか
相手の心情思いはかるとか、認めるとか
コミュニケーションに必要なことが両親それぞれにないため、
わたしにもそれが受け継がれてしまっており、仕事というか、生きる上でちょっと大変かもということが起きています。。。
仕事においても影響あたえています。(-_-;)

 

今日、バイブルスタディを伝える練習に付き合ってくれたメンバーから

一方的で置いてきぼりになる

もっと分かっているかどうか確認したほうがいい

といわれ

仕事で起こっている改善点と全くおなじで

これは…(ー_ー)!!とおもいました。

自分のない感覚をどうしたら培うことができるのか・・・
この4年間、いろいろと直したり、培わせてもらうこともさせていただきましたが、
社内体制的にも労力のわりに報酬見合ってないので
たいしたことない存在で僭越ですが、「やめたい」という気持が今MAX盛り上がっています。。。

しかし、観点変えてみると、

神様がない感覚を培わせるために置いてくださっている感謝な、環境なのかもよ。
もうちょい感謝しながらやってみたらという天使的な声が聴こえなくもないです。。。が、しかし
無い感覚をどうしたら得られるのか、どうやって培うのだと途方に暮れる自分の方が強いのが否めず。

悶々モードです。

判断のPOINTを2者択一。

目に見える「評価と金銭」なのか

目に見えない「可能性と出来ないことが出来るようになるプライスレスさ」を取るのか

さあ、どっち。

信仰なければ、前者。

人生一生自分を作ることだ

を学んだ

信仰の観点では

すぐ経済に反映されはしないとしても、実のある人生になるためには
開発することなんだなあと。(-“-)

しかし、自分ひとりならばぜーーーーッたい培うことなどできないため、
これは神様の助けがあること前提になること必須。
まさに、無から有なのだな。
そう思います。

私のコミュニケーション障害が摂理に来てかなり改善されたのですが、
どのくらい酷かったかというと、「自分がいたらみんなに迷惑かかるから、礼拝だけでて帰ろう」そんな人でした。
様々、精神的にかなり病んでいて、いわゆる宣教対象から外したいタイプの
うっとおしく面倒な私を引きつつも笑いながら寛容にどーんと受け止めてくれたメンバーや

作れば良くなると励ましながら生まれてきた根本の価値を説き続けてくださっているチョンミョンソク先生の存在が大きくおおきいです。

自己啓発本とか、カウンセリングとかいろいろ試しても
「神の領域だね、あなたの問題の答えは」という神がかったご神託みたいな、コメントをカウンセラーからもらってしまっていた私。
気が付いたら、摂理で、神様が人間に与えた目的を教えてもらったことを現在進行系で体現めざして諦めずに生きている次第です。

転んでも、倒れても、立ち上がればいい。

わたしは先生からリアルな痛みの中で希望を教えてもらっているから幸せだなと改めて思いつつ、

進むべき方向に進めるように祈って、また考えをよりよくして下さる神様のみことば、真理を学ぶわけです。
これがマインドコントロールという人がいるならば、
マインドクリエイトであると訂正を進言いたす心持であります。

 

あってもしょーもないモノを捨てたイキサツと独り言。

自分を責めても、失敗したことは帳消しにはならない。

否定しても、改善にはつながらない。

しかーし。
責めること、
否定することって
自虐することって

簡単で、
身近にありふれてて
コンビニみたいに当たり前。

自己嫌悪と自己否定、責任転嫁の
トリプルループへ吸い込まれるように入り込み絶望の自暴自棄ワールドへと
いざなわれる。
(自暴自棄が、身に覚えがある面倒なもの同士でよく自暴自棄ワールドを、JJKとゆーてました(笑))

長らくJJKの住人でしたが、チョンミョンソク先生から学ばせてもらって

ナニが自分を辛くさせるのか。
それがハッキリわかるようになりました。

神様は
うまくできることを評価するのではなく

神様と一緒に自分を作ること
ただ神様と共に生きることを願われてる

神様の観点でみて、感じて

「生まれてきたことが奇跡」

それを
あらゆる角度から味わわせてもらう
神様の大きな大きな愛を知るようになりました。

一緒に考えて
乗り越えていこう
手を差し出してくれるその手を振り払ってしまっていた
その分、遠回りした時間のロスを痛感し。
これ以上はカインの性格のさばらせてはならぬ。
そう思っても、
生きてきた時間の分
考えが固まっていて、
砕くのに、削り取るのに
時間がかかっているのは、いなめまへん。
もう自分、無理なんではないだろうか。

そんな思いが生じる時。

天の心情でペンだこ何十回潰しながら
書き送ってくださった
先生の姿

それを思い出すと
諦めちゃなんねえ

ほふく前進でもいい。
前にすすめるならば。

そんな思いを天が与えて下さって

昔よりだいぶマシになった今です。