摂理に出会ったきっかけは、米ぬかパンのイキサツからでした。

10代の終わりが近づく頃、当時は近くて遠い国だった韓国から来た留学生ウニョンに出会った。

まだ韓流ブームも始まらない日本。わざわざ日本の片田舎に来たのはどうして?と訊いたら

生まれ育ちもソウルの彼女
「人がいないところに行きたい~‼って思っていたカラ、その願い神様がかなえてくれて、やまなしに来たんだと思う😊
デモ、1年住んでみて、自分はもう少し人がいるトコロに今度は住みたいナって思う😅」とひじょうに正直な返答をしてくれた。

やはり都会生まれの人だからかな。と、その時は思ったが、「私のためにウニョンを神様が送って下さったんじゃないかな?」と今は思う。

なぜなら、摂理(キリスト教福音宣教会)に出会うには、彼女がいなければ到底むずかしかったから。

 

彼女は、高校卒業しお金を貯めてから日本に来たそうだ。
アルバイトをしながら学生をしていた。
決して楽ではない生活をしていた。
でもいつも笑っていた。
だから、不思議だった。

どうして、いつも楽しそうなのかそこが気になったし、知りたかったから、特に同じ学科でもないのに、自然に友達になった。

ある時、ウニョンから唐突に「このパン屋ってどこにあるか知ってル?」と訊かれた。

 

それは米ぬかでつくった、「こぬか爽快パン」のお店
松栄堂
だった。

すごい効果がある!という評判からメディアに取り上げられたようで、彼女はその切抜きを見せてくれた。
興味があったのでドライバーになって一緒に訪れてみた。

米ぬかで作ったパン。
美味しいかどうかと言われると正直、独特の味。

でも体にイイらしい。
彼女は「これ韓国に送れマスか?」
と店主に訊いていた。

「いや~お店から韓国に直接送るのは無理なんじゃないかな?」と私は思ったのだが、
店主は「そうだね~全国配送は始めたけれど、海外はしたことがないね。でも、冷凍して送るとかならばできるかな?」と彼女の質問に答えてくれていた。

そこまでして送るって・・・・と当時の私は思ってしまった。

なぜならば、ウニョンは切り詰めて生活しているのを知っていたから。。。

米ぬかパンもそんなに安くないし、送料も同じくらいかそれ以上する。
どうして送るの?と訊いたら

「お父さんの健康がよくなるかナって。。。」

その答えが、私には晴天の霹靂ってやつだった。
親を大切に。
そこまで行動しようと思うことなんてなかった
自分の子供加減に恥ずかしさを感じた。

ウニョンに後日、そのことを伝えてみたら

「私は以前、親に感謝ができナカッタノ。
むしろ、恨む気持ちもあったんだ。
デモ、聖書を学んで神様の愛をハッキリわかった。
それヲ教えてくれた牧師先生が親をスゴク大事にされているのを見てからカナ。自分もそうしようと思ったノ。」

イイ事をイイ!っておもうことはあっても、それを実行するに至ることはなかなか無い。
ていうのが大概なのに。。。
変化するだけの影響力を与える先生がいるんだ。
会ってみたいな。
っていうか、私は会えないと思うけれど。
そういう牧師さんが韓国にはいるんだな。イイな。
会えるならばいつか会ってみたい。

そう思った。

あの日から、こんなに時間が経ったんだなぁと。
たまたま松栄堂の前を通って思い出しました。

女子中学生のメシア。

朝礼ならぬ朝の礼拝が山梨英和中高等学校ではある。
メッセージは牧師先生や校長先生がされる時(校内放送や講堂チャペルで捧げる)もあれば、生徒がすることもある。
(クラスで捧げる礼拝では礼拝当番が回ってくる。)
自分が日々の生活の中で思ったこと感じたこと、神様の愛やイエス様のことについてけっこう自由に語っていた。

中学1年生は宗教主任の牧師先生に原稿チェックをしてもらう機会がある。
その牧師先生が「メシアってそうだよね!」とすごく共感した内容があったんだ。と、ある生徒のメシア話を紹介して下さったことがあった。

どんな話だったかというと・・・・

用務員さんを通してメシヤを悟ったという話。
一体何があったのか?というと。

今は校舎が建てなおされたので、おそらくトイレが洋式になっていると思うが
私が通っていた当時の校舎はすべて和式だった。

和式トイレで何を気をつけなければならないか?というと、
制服の胸ポケットにモノを入れている時は、落ちないようにしなければならない。

勘がイイ方は察しがついたかもしれないが、用を足した便器の中に落ちてしまうという悲劇が起きないように気をつけなければならないのだ。

高校生になると、いい加減になるけれど本来、胸ポケットには生徒手帳を入れておくように義務付けられてる。
和式トイレの心得、それに慣れていない入学したての中学1年生。
こともあろうか、用を足した便器に生徒手帳をうっかり便器に落としてしまったのだった。

その子は、生徒手帳無くしたら、発行するのにまた手間がかかるし、流したくても流せないし、
どうしよう・・・と困り果てて、泣くしかない状態。
そこへ、通りかかった用務員さんがどうしたの?と声をかけてくれたので、恥ずかしいけれども泣いている理由を話したら
用務員さんは笑顔で「なんだ。」といって躊躇することなく、その用を足した便器に手を突っ込んで生徒手帳を取り出してくれてきれいに洗ってくれたそうだ。

その子は、メシアってこういうことなんじゃないかと思ったとクラス礼拝の原稿に、そのいきさつを書いたそう。

自分でさえ躊躇することを、事も無げに明るく対処してもらえたことにも驚きだったし、自分の不注意で迷惑をかけているのに、それにたいして不快を示すこともない用務員さんのその姿。
それが彼女にとって、メシアってこのようにこうだったんじゃないか!?
と思ったそうだ。

その牧師先生は、
「イエス様はキリスト=救い主=メシアだっていう認識・知識はあっても自分の<メシア>じゃないでしょ?
<誰かのメシア>じゃないんだよね。自分を救ってくれる方なんだ。
だから、この子の体験はメシアについて、すごいわかりやすいよね。」と話されていた。

たしかに、イエス様がメシアって言われても「自分とどのような関係があるのでしょうか?」とぴんと来ない感じだったから、その話を聴いてから、自分とメシアの関係性について考えるきっかけになった。

そして、イエス様がどんな風に救ったのか、その愛を実践しながら神様の愛・メシアについて、救いを教えてくれる人に会いたいなと思うようになった。

コトバだけで教えてくれる先生は理解しにくい、むずかしい話ばかりをしてくれていたから、実践したことを通して教えてくれる先生に会えたら最高に分かりやすいだろうなって思って、会えますように教えてもらえますように。と、祈ってみた。神様がいらっしゃるならばと祈った、その祈りが聴かれたなぁと摂理に来て気付いたのだった。

というわけで、彼女のメシアを悟った話は私の人生にとって意外にも大きな影響を与えていた。
神様のなさることは、やはり人知を超えている。そう思った。