3.11と父と口論。

神様がいるならばどうして、大地震が起きるのか?
そう父から言われて、わたしは感情的になる心を抑えながらどう返答をしたらいいのか、
無知から誤解している父にどう返答をしたらいいのか、
瞬間、普段にないスピードで考えた。

チョンミョンソク先生が教えてくれた創造主、神様は、愛で慈しみそのもの。
人が滅ぶことを願うような神様ではない。

私が知ったことを、どういったら伝わるのか、先生が過去教えてくれたことを、鞄をひっくり返すように思い返した。
そして、聖霊様、どういったら父の誤解を解けるのでしょうか。と切に求めて、思い浮んだままに伝えた。

「子供を殺すために、子を産む親は、そんな親は親ではないだろう。
子供が目の前で死ぬならば、心が引き裂かれるはず。。。
お父さん、神様について何も知ろうともしないまま、自分の思う考えで好き勝手に悪く考えるのはおかしくないか。神様がどんな風に人間を見ているのか、人間を存在させるために地球を作ったの神様について知って、考えてから何か言うべきなんじゃない?」

そのように、伝えてから長い沈黙が私と父の間に流れた。

もう終わった。
私は父に狂信的な信者だと思われていたんだな、もういい家から出よう。
そして、もう戻ることはないだろう。
そこまで思った。

けれども、次に返ってきた言葉は

「そうだな。確かに一理ある。自分は何も知らない。おまえが言うとおりに学んでみる。」だった。

その後、私が聖書について少し伝え、都心まで行ってメンバーからバイブルスタディを聴かせてもらう機会があった。

なかなか、続けてバイブルスタディを聴く事ができないままになっているが、
神様を知らない。
それが自分の人生と考えに不安があることだと父も認めた事実残ったままになっている。。。

神様を知る事が、人生の悲しみと不安がなくなる。
すべての人が救われて永遠に幸せになる事を願われている神様の思いを感じた。

 

知り合って、付き合うまで・・・いわゆるイキサツ。

中学1年の時、聖書の授業で「人生は1度きりです。生まれ変わりはありません。
神様が一人ひとりを個性として同じ人はいないように作られたからです。」牧師先生から話を聞いた。
この時に、唯一神教の神様に初めて会ったと思う。

はっきりとした仏教徒でもない家で育ったとしても、私は輪廻転生を普通に信じていたから
カルチャーショック的な衝撃を受けた。

わたしは、中学3年生ぐらいになってようやく
毎日賛美歌うたったり、聖句読んだり、主の祈りを唱えたりすることが生活になじんだ。
それまでは、なんか居心地が悪いというか、キリスト教に戸惑っていた。
でも、新約聖書にあるイエス様のエピソードが心に不思議に響いた
「山上の説教」や「善きサマリヤ人のたとえ」とか、
神様側の視点の真と善についてイエス様の教えに、いい意味で考えが覆ったのを覚えている。。。

日本人の人生観・神様観とキリスト教が土台の人生観と神様観は全く違うので、
摂理で初めてキリスト教に触れる方は、普通に戸惑ったり、違和感を感じたり、びっくりすることもあるだろうな・・・・と過ぎし日を振り返ってみた時、ふと思った。

祈ることも、聖書を読むことも、数年くらいしてみて、安定するというか、なじむというか、
自分の生活に入るまでの期間といいますか、神様とのお付き合いが始まるまでに過程がある程度あるとおもいます。

自分の戸惑う心をありのままを神様を伝えながら神様との距離が縮まっていくのが、かけがえのない思い出というかイキサツ。

後で振り返ると「懐かしいな」と思える日が来るので、
ありのままを神様に見せたり、伝えたりすることをおすすめします。(*´ω`*)

神様は、うれしいな~と自分にしかわからない形で反応を見せてくれます。かならず。