稲刈りを通して悟った祈りのチカラ。

「稲刈り」というと、鎌で刈り取って束ねる作業のことを思い浮ばれることが多いようなので念のため、どんなことをするか?というと、馬と言われる、パイプの骨組みに刈り取った稲を掛けていく作業が我が家でいうところの「稲刈り」だ。
だいたいほかの家は、コンバインで刈り取りつつ機械で乾燥までさせて穂を穀いてしまう。

昔は出荷までしていたが、今は我が家と親戚の家の分しか作っていないので
だいぶ、負担の量は変わった気がする・・・
だが、やはり単調な「稲刈り」作業に、うんざりしてしまう気持ち否めない。。。

そんな時に

「祈りは仕事だ。仕事をすれば成されるように、ふさわしい祈りは成してくださる。」

その歌詞が浮かんできた。

「祈りは仕事だ」を何度も繰り返し歌いながら、稲掛けをしていくそのうちに

成されていくその、結果をみて

「仕事をすれば成されるように、ふさわしい祈りは成してくださる」

そう、たしかに過去に成してくださった神様の御働きを思い出されてきて、

Amen!!!

と力が湧いてきて、
速く作業が終わりました。
やはり、根本からくる力は強い。

知らなかったよ塗るストッキング。

たまたま「塗る」という漢字ってどう書くんだっけ?と
グーグルさんで検索したところ、サジェストっていうんですか?「塗るストッキング」って上がってきて
へ?(+_+)

なんだこれ?

と思って、購入者レビューを見てみた所
ボディーファンデーションとのこと。

夏は、生足(なまなましぃ表現だなコリャ)の季節。
でもクスミや毛穴などなど、おしゃれに影を差すような足を美しくカバーしてくれるとのこと。

わ~全くそんな観点なかったよ!私!!!
ただの防寒対策だったよ!(笑)

話がずれましたが伝線の心配がないので、塗るストッキングイイですね。
ストッキングの伝線事件に悩む女子たちに朗報な商品。
価格帯もプチプラでよさそう。

今はこういう情報も、普通にキャッチするようになりましたが
もともと私は自分にたいして肯定感がマイナスからはじまるようなレベルなので
まったく、美容とかどこの星の話ですか?みたいな感じでした。

自分の顔を鏡に映すことさえ気が引ける・・・・そんな感じでした(^_^;)
それはもう、教会のお姉さんお兄さんから、社会人としてどうかと。と言われたり、山梨の人はみんなそんな感じなのか?とか言われたり(山梨県出身者・在住者のみなさん私のせいですみません、)
まったくもって、珍獣というか、困ったチャンでした。

そこまで酷いカッコだと思っていなかったんですけれどね(^_^;)(普通にジーパンにTシャツ)
なんか、イケてねーよ、もっと素敵にしよーよとわざわざかまってくれる?世話焼いてくれる?みなさんに
マジで友達というよりは家族っぽいなこりゃと何とも言えない距離感に戸惑った覚えがあります。(遠い目)

ともあれ、どうしてそこまで私のためにアドバイスというか親身になってくれたのか?
それは、生活の中でも素敵に神様を迎えて生きる。という信仰だからなんだなと思いました。

神様は、目に見えないし、私のこと全部分かっているから、別に服なんてどーでもいいんじゃない?
って思っていたわたしにお姉さんが「そういう気持わかる。わたしも昔そう思っていた~。でも、神様について知れば自然と気持ちも変わるとおもうよ」と、私の気持ちを受け止めてくれながら待ってくれるようなコメントをくれたお姉さんがいました。

しばらくして、「神様も人間のように見える存在として接してほしいと願っているんだ。」と知るようになり
目に見えないけれども、こころの深いところまでお見通しの神様。
その神様にお会いする礼拝の時間に向けて、あれこれ考えを集中する時間がある分、
たしかに主日礼拝での受けとる喜びというか、感謝というか、世の中では味わったことがないプライスレスな安息というか平安。
なんだこれ!?と、実感するようになりました。

目に見えない神様を意識して生活することがどれほど面白いのか、
たのしいのか、やった人しかわからない。
チョンミョンソク先生を通して都度思う事ですが、
まさか自分、少し意識しただけで今までしらなかった平安さを味わえるとは・・・と驚くようになりました。
ほんのちょっと準備というか姿勢というか行ないを変えただけで、礼拝に臨在される神様感じられて
天国って本当に楽なところなんだろうなぁ・・・って礼拝通して感じたんです。。。

なるほど、信仰は体験から生じるのだ。

そういうかんじで、美容とかメイクなんて私には無関係という自分の考えが削られたなぁと
ふと思い出したのでした。