騙されることと騙されないこと、分け目は何かって話。

駅の待合室であるご夫婦が感情露わに話されていた。
狭い部屋なので、何を話しているのか筒抜け。
携帯電話の契約に関しての話でした。

「ちゃんと調べている人には、疑問が湧くけれど、
ちゃんと調べていない人は、疑問が湧かないから、あの説明だと選択できないような感じ。あれだと詐欺だと思う。」

おぉ・・・私も思ったことがある。。。
ちょっと前に、この件はニュースでも問題になっていた。
携帯電話・ネット関連の契約について知識がない人達に高額の商品まで当たり前に買わせている手法が問題だと。

話を聴きながら、結局、「騙し」って
確認・判断できないようにすることだなぁと改めて思いつつ
ある壮年部メンバーの方のイキサツを聴いた話がまた思い出されてきました。

息子さんお二人とも摂理のメンバーだそうですが、
お母さんが摂理のメンバーになるまでにはドカンと大きな衝撃があったそう。

「息子さんがおかしな宗教にやられているから救い出さなければならない」と
どこかの塾の先生やら大手出版社の記者から力になりますよとお電話をいただいたとのこと。
まさしく青天の霹靂。
自分の育て方がまずかったのだろうかと悩まれたそうです。
いろいろなことがあった様子がうかがえますが
結論、息子の話を信じるという判断をしたと話されていました。
詳細を聴けていないですが、当時を知るある指導者の方が「お母さん、疑問点をびっしり質問事項として上げられてこられたので、お母さんのための聖書勉強会をしたんですよ。懐かしいわ~」と話されていたところからすると、命懸けで息子たちのことを心配しただろうなとうかがえます。

無神論者だったお母さんが神様はいらっしゃると思えるまでは長くいろんなイキサツが合ったはず。
でも、今があるのは、息子さん達とお母さんとそして、取り巻く人たちが真実に対話したんだろうなと思いました。

だましはないと確認がすることができたから
「あの時は息子を何とかして取り戻そうと潜入するような思いだった」と振り返ることができる今があるんだなと感じ
じーんとしました。

赦すことは自分を省みることからはじまるって、小難しいことふと礼拝前に感じた件。

摂理の教会には大学生しかいないというような印象を持っている方がいるようだが、ふつうに小学生・中学生・高校生の子たちもいる。
朝玄関で遭遇したので「おはようございます」とあいさつをしたところ
スルーされた。。。

朝からちょっと心がもやもやしたというか
正直ショックだった。
なので、それを理由にしてはいけないが次遭遇した男性社会人?家庭局の男性に会釈ままならず・・・着席し、お祈りした。

お祈りしたときに天からもらった心2つ。

①もっとにこやかに挨拶すれば相手も挨拶するしかなくなるから、もっと挨拶の次元をあげること。

②あなたの10代だった時を思い出しなさい。

わたしは人見知りをするので、相手が年上だろうが年下だろうが、ひとまず距離を置きまくるところがある。
なので、挨拶も固い(表情がにこやかでない)
相手が大人ならばきっと、人生経験上返してくれるだろうが、経験値が少ない場合は返されない。いや、返しにくいのだろう。

そして、私も10代の時は親戚の人とかあった時になんだか照れるような気がして挨拶せずに逃げたり、
また私など数に入らない存在だろうという自分の考えであいさつちゃんとしなかったりして、母に叱られていたなあと思いだした。

わたしも成長まだまだな三十路。。。(←いい加減にしろという声が聞こえてくる)
そうだよね、いろいろあって昨日より今日、今日より明日成長していくのだから!
と思ったら、しょんぼりな心がなくなった。

摂理に来て、何かしょげたり、ショックを受ける時、お祈りすることで
考えが広く高くなるという経験を学んできたなぁと改めて思った。
そして、いろんな世代がいるから
もっと自分からアクションして交流もしたら面白いかもしれない。
そう、新しい考えをもらった。

そうそう、そういえば
最近、主日礼拝のあとに太極拳を壮年部の先輩から学んでます。
人格的でとても癒されます。
いい歳の取り方を学べること感謝です。