職場でイヤミを言われたが、 Holy Spiritで回避した件。

Holy Spirit=「聖霊」
聖霊とは神様の霊である。と日本語で表現すると、うさん臭さと、怪しさが爆発して拒否したくなる気持ちが否めないかも。

なのは、霊についていろんな考え方、捉え方、誤解が蔓延している日本で自分も影響うけているからなんだろうなと思います。

聖書では霊を「Spirit」と「Ghost」の2つで表記され
日本語だとどちらも【霊】で表現されてあり、
言葉の意味と使われ方を知ることの大きさを感じるところであります。

と、前置きはさておき。

聖霊の御働き、神様の霊の助け、働きかけには「癒し」や「悟り」、「思い出すこと」などいろいろあります。

聖書を学んで新しい感覚、面白さ、喜びとか生じうるのは聖霊が下さるものなんだなとふり返っておもうのですが
自分にはできないことを挑戦させてくれる力も聖霊によって与えてもらっていたのだなとふとおもったのでした。
というのは、
絶対暮らすことはないであろうと思った東京で、
これまた絶対することはないであろうと思っていた事務職をしたとき
毎日が、自分の考えでは「ありえない」の連続でした。
毎日、神様~私こんなかんじですがどうしましょぉおおおっと全力で助けを求めながら挑戦する毎日でした。
全力で、求めると
全力で応えてくださるのを感じて、
いっそう目に見えない神様は完全に存在してらっしゃると痛感するしかない毎日でした。

その中で、鮮やかな思い出を一つご紹介。
ある課長のストレス発散の方法が事務員にイヤミの応酬をすることだったのですが、
もれなくわたしもある時、大きな声で「メモの一つもちゃんと書けねーなんて仕事にならねぇ」と言われ
職場のフロアの雰囲気が、みなストップモーションで止まったかのように数秒止まりつつ絶対零度の風が吹いたような感じでした。
私の目の前にいた先輩がなんとかしてフォローしてくれようと必死の表情が見えた瞬間
あぁ神様はちゃんといらっしゃる、私が直すべき所直せばそれでいい。
そう感じて
「アドバイスありがとうございます。次からは気を付けます。」
と朗らかに明るく大きな声で返答する事ができました。
課長がどうなったかというと、あてつけ的なイヤミに対してまさかの反応があるとは思ってもいなかったのか
「わ、わかりゃいいんだよ。次からは気をつけろよ。」とちょっとどもっていました。
先輩方から、「あの顔見た~?すっきりしたわ~。一瞬どうなるかな泣いちゃうかなと心配していたんだけれど、けっこう強いね。」と言われました。

私の性格やコミュニケーションのレベルからすると、あの返答が出てくるのは本当に神業。
聖霊の御働きだったなぁ。
と本当に思います。

そんな思い出を思い返しつつ、さらに聖霊を求めなければ!と思うのでした。

失敗するとき、当たり前なことがしみる。

当たり前なことだが、それに出会うとはっとすることがある。
それは、なんらか当たり前でなくなってしまうと時に思うからだろう。

「政治家にとって人の意見を聞くというのは大事なこと。演説の時にヤジとか批判はあるが、そういうものに挑発されず、しっかりと誠意をもって伝えるところは伝えたらいいのではないか」そういう意味で「『家内の言うこと』『厳しい意見』『苦情』『見解の異なる人』『こんな人たち』の意見も聞かないといけない」(産経新聞より引用:自民党の中元氏自民・中谷元氏、今度は「かきくけこ」で安倍晋三首相に忠告 「『こんな人たち』の意見も聞かないといけない」 都議選惨敗で)とある番組で語られたそう。。。。
たしかにそう。そう。
とうなづきつつ、
わたしも昨日、お客さんから「ユーザーの立場に立った案内が出来ていない!」と叱責を浴びせられ時、
仕事で成功を収める’秘訣’が身に染みた。

秘訣とは
クレームに対しての正しい認識を持つこと。
では、「正しい認識」とはなにか?
クレームは改善点を明確に教えてもらえる貴い資料・材料という認識。
自分の思いだと、一生懸命している事実から、なぜ~?と正直、思ってしまう。
相手の気持ちよりも自分の視点・想いがどうしても幅を利かしてしまうが
え~?と思ってしまう自分の思いを置くことが大事。
クレームの視点=改善点なのだ。
対象に届かない・届いていない理由が「ユーザーの立場に立っていない」という明確な原因を受け止めたときに
コールセンター業務に必要な「案内させてもらう」そのマインドが失われていた事が見えてきた。

自分の「思い・考え」があるとなかなか、他の考えは受け取り難い。
摂理で聖書を学び、神様を知って、祈る事、真理で考えることなどを繰り返していくときに、自分の考えではない視点で考えることを体験するようになった。
認識を正しくするというポイントをすぐに適用できたのは
信仰生活するなかで自己主張的な視点よりは、客観的・複眼的な視野でいいか・悪いかを見るようになったからだと思う。

また、「上手く出来ない時は、方法を変えること」
チョンミョンソク先生の一言が思い浮んだ。

ので、押してもだめならば、引くこと。そんなかんじで、対話も引き算気味にしてみることで、流れをかえた。
原因が見えない問い合わせに、内心戸惑ってしまい原因を調べるために、あちらこちら電話越しにいろいろと確認をしていたのだが、私の捜査の一方通行では、協力が得られない事が分かった。
協力していただくために、私側の思いを引き算し、より相手の思いを多く汲む必要があるということが見えた。

お客さんによって、接し方を変える必要性がある。
これは何度も学ばせてもらったのにかかわらずまだ、まだ、出来ていない~と痛感した。

しかし、苦言を通して修正でき、開発されることを改めて思った。
受け止める自分の心・考えを準備することが日々の中で培う事、その必要性を知ることが
失敗がより新しい成長・次元に至る秘訣なのだと思う。

「人生一生、自分をつくること」
チョンミョンソク先生が教えてくれた人生哲学は、社会で生きる上で深く響く。
そして、困難な気持ちになる時に向き合っていく力を与えてくれる。

摂理で学んだ
信仰生活は、生きるために必要な知恵と力を得ながら
より良い考え方・モチベーションをもって生活できる
そう改めて思う今日この頃。