子どもと大人の指導法~「人は接し方次第だ」

今週の主日礼拝で

「あなたも人々も【接し方】にかかっている。【ボールペンの先】で接したら刺すようになり、【ボールペンの柔らかい方】で接したら刺しても痛くない。」

という御言葉があった。

喧嘩

@www.irasutoya

この話を聞きながら、ある場面が思い出された。

まっちゃんが初任者の時。

小学校二年生担任だったが、

クラスにADHDの子がいた。

 

その子は、

友だちと遊びたくて仲良くしたくても、

上手く表現できずきに空回りしてしまう事がよくあった。

 

それで、ある日

いつも仲の良い友だちと

ささいな言い合いになり、

 

「もう!!」

 

鉛筆の先】をその子に向けてしまったのだ。

鉛筆

@fitmugen1130

相手の子も怖くて

とっさに手を出したから、

【鉛筆の先】手に刺さって

芯が掌に残ってしまい

一大事になってしまった‼

 

刺した本人が一番驚いてしまって

「ちがうもん!!!」

泣き出してしまった。

 

その子は「鉛筆を刺す気」は全くなかった

ただ、

「ちょっと相手を驚かせよう」としただけだ。

 

しかし、

【鉛筆の尖った芯の方】

を相手に向けてしまったから、

思いもよらない怪我をさせてしまった。

 

このような事は、

小学校の現場で良くある。

「そんなつもりなかったの・・」と。

 

しかし、

怪我をさせてしまってからでは

「覆水盆に返らず」

「後悔先に立たず」である。

 

☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜

 

御言葉の中で、お師匠はこのようなことを仰った。

「たとえ、相手に直すべき所があったとしても、【ボールペンの先】を刺すように【鋭く】接してはいけない。そうすれば、相手を驚かせ、恐れさせる。」

「そうせはなく、【ボールペンの柔らかい方】で接するように【優しく】接して、自ら悟らせるように、直せるようにしてあげるべきだ。」

 

☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜

 

お師匠のエピソードの中に、

「スイカの話」がある。

スイカ

@kmsys-freesozai.seesaa

夏の暑い日、

一日中作業を外でするので、みんな暑くてのどがカラカラ。

お師匠は一人の男の弟子に

「スイカを買って川の水で冷やしておきなさい。」

と言って川の水で冷やしておくようにさせた。

後でみんなで食べるためだ。

 

しばらく作業をして、

一休みする事になった時、お師匠が他の弟子に

「冷やしておいたスイカがあるから取ってきなさい。」

とお使いに出されたが、

見に行った弟子が

 

「スイカはありませんでした。」

 

と何も持たずに帰ってきた。

「そんなはずがないよ。あなた行ってきて見て。」

他の弟子をもう一度見に行かせたが、

「やっぱりありませんでした。」

と同じことを言う。

 

 

実は、弟子の一人が何も知らずにスイカを見つけて一人でこっそり食べてしまったのだ。

(やばい・・・あれ、みんなで食べる用だったんだ・・・(;´Д`))

焦る

@www.irasutoya

様子のオカシイ その弟子にお師匠が

「あなた、食べたでしょ?」

と仰ったが、

とっさに

「私は食べてません!」

と答えてしまったそうだ。

ガーン1

@blog.universalhome

(しまった・・)と思ったが、

一度嘘をつくと、ますます言えなくなり、

「本当に本当?」

「ええ、食べてません!」

結局最後まで、嘘を付き通してしまったそうだ。

 

 

それから その弟子は、

 

(いつバレて叱られるだろう・・)

 

ビクビクして毎日過ごすようになる。

 

しかし、

お師匠は何も仰らず、

ひたすらその弟子に良くなさった。

スイカ1

@illpop

みんなでスイカを食べる時も、

その弟子を一番近くに来させて、

先にスイカを渡して下さった。

そのたびに、

 

(あぁ、先生は分かっていらっしゃる・・)

 

うーん

@www.irasutoya

「良心の呵責」ビンビン受け、

とうとう「自分が耐えられなく」なって、

 

 

「先生、あのスイカ、私が食べました。」

 

 

白状したそうだ。

 

 

お師匠はそれを聞いて。

「うん。分かってたよ。いくら食べたくても、もう勝手に食べてはいけないよ。」

と話して下さったそうだ。

 

☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜

 

このエピソードを思い出しながら、

これが【ボールペンの柔らかい方】で接する接し方だと思った。

 

小学校でも、子どもたちは何か間違いを犯すことは日常茶飯事だし、

相手を傷つけてしまうこともある。

 

しかし、そのたびに【ボールペンの先】で刺すように接してしまっては、

その子にも傷になる。

 

相手の「良心」に語り掛ける指導方法は、一番スマートで次元の高い方法だと思った★

 

やっぱり、神様の教えて下さる「接し方」は一味違うなぁ!

お師匠、学びます!!(*´∇`)ノ

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」はどこから生まれるのか?教えてもらった話。

私の業務はひたすら質問を受けて、回答をする内容。
なので、重複する質問が頻発することもしばしば。
しかし、質問者はまったく別の方。
1日に同じ質問が10回続いても、その一人ひとりは性別も年齢も性格も状況も十人十色。

正直、私サイドの話だと、「またこの内容か~」とげんなり気味になる。。。
でも、お客さんにとっては、そーではない。
この感覚の溝が大きい時がしんどくなる。。。
その瞬間、神様を悲しい気持にさせる私になってしまう。。。

先生だったらどうするんだろう。。。
いつも神様に感謝しているチョン・ミョンソク先生の姿を思い出し、考えてみた。

どうしたら感謝を心からできるようになるのか?

「自分の視点ではなくて相手の視点に立てるような努力したのかな?」
聖霊様の問いかけが心にそよ風のように私の心に入ってきた。

していない。しんどいわ~という自分の思いにどっぷりつかっていた。

先生だったらどうするだろう。。。

先生は一人ひとりを神様の宝だと思って接してくださる方。
わたしは先生にまだ直接会ったことがないけれど、そういう先生だと思っている。
どうしてそう確信するのかというと。
以前私は先生のお母様にお会いした事がある。
その時、先生のお母様は私に握手をしてくださった。
ご高齢でありながら、熱く力強い心のこもった握手に先生はきっとこういう方なんだなと思った。
何人いようが、適当にしない。真心と真実さで接してくださる方なんだなと。

それを思い出した。

話の内容をみるのではなくて電話の向こうにいる方の心に会うようにしようと思った。
どんな心で話されているのか、そこに集中してみるようにしてみた。
緊張されているのかな?お忙しいのかな?
少しでも話せて良かったと思ってもらえるにはどうしたらいいだろうか。。。
など、回答をすることを目的にしないで、対話の意識を変えてみただけだが
お客さんも私も、よかったと思える対話ができるようになった。

この仕事を通して私の良くないところを直したり、
知るべき必要なことを教えて下さり学ばせてもらえること神様に感謝する心が戻ってきた。
神様の前にふさわしくなれるよう、考えの姿勢を直すことができた。
感謝は、相手がいて自分がいて、一対一。
その価値を貴く思うことから始まるんだ。とも思った。
悟らせてくださった聖霊様にまた感謝。

先生のような感謝をもっとできるように、
心があったかくなる先生の感謝する姿にもっと近づけるようになりたい。

この経緯を得るようにして下さった御言葉↓

「接し方によって『取るに足りないように』あるいは『より貴重に』使うようになります。」
「接し方、使い方によって運命が左右されます」
2016年6月5日主日の御言葉
「<人間>もどう接し使うかにかかっているし、<環境>もどう接し使うかにかかっている」より