やっぱりグンマはオモシロイ。

「摂理のこども すくすくの雲」のsakuちゃんは群馬出身。
群馬ネタを時々ひろうしてくださる(最近の群馬ネタ記事⇒いらないものを強力に葬れそうな群馬の方言)のだが、面白くて
私の中で群馬の好感度が上昇してはいたのですが・・・

やはり、群馬オモシロイ!と思いましたよ
群馬県高崎市がプロデュースの「絶メシ」
失うのは惜しい地元の絶品グルメ店を紹介しようというこの企画。

「絶メシ」には、「絶やすな」と「絶品」の意味が込められている。商標登録もされたれっきとした高崎名物だ。紹介店には基準があり、プロのグルメライターらで編成する「絶メシ調査隊」が直接、店に足を運んで審査する。

「絶メシ」の条件は、
(1)家族、もしくは少人数で営業している非チェーン店
(2)昭和の空気を感じさせる歴史がある
(3)後継者問題を抱えるか、抱えそうな店
(4)この店でしか味わえない絶品料理や雰囲気がある
(5)市民に愛されている -など

産経ニュース「「異端系食堂」…にわかにブーム「絶メシ」ってなんだ!?」より引用

うわー
こういうの好きですワタシ!!
セツナイ店構えの中に奥ゆかしい美味しさ。。。
そんな店あったら行きますがな!

地元愛がさく裂しているのを伺えるリポート↓

「看板ナシ、メニューは2品、営業時間は2時間半 高崎が誇る“異端系食堂”」
「群馬カレー界のゴッドファーザー『至極の一皿』」など、思い入れたっぷりの見出しが並び、
昭和から守り続けてきた独自の味やこだわり、店主の人柄、門外不出のレシピ。ポスターにも味わいがあり、
「産地? ウチの池なんだよね」など添えられた店主のひと言が添えられている。

産経ニュース「「異端系食堂」…にわかにブーム「絶メシ」ってなんだ!?」より引用

絶飯の狙い・ミッションとしては「後継者を発掘、育成し、絶滅危惧の高崎の絶品グルメを守ろうという作戦。」とのこと。
インターンなども募集しているらしいが、大手チェーンから「絶飯イイネ!」とオファーが来ているようで
新しいビジネス展開も見込めそうなうえに、グルメ観光客が訪れるようになっている模様。

高崎では高崎産小麦を使った「高崎うどん」に代表される麺の街とのことで「キングオブパスタ」という町おこしも以前から開催しているそうです。
高崎は食のセンターで町おこし熱い所のようです。

でも、群馬全体的にもしかして町おこしを企画されているのかも?とふと思いました。

というのは、日本の真ん中!ということで群馬にはへそ祭りという町おこしがある事以前から知っていたのですが
やまなしにも「日本のへそ」と言われる場所があっても、まったくそういう町おこしをしておらず・・・。
県民性を感じました。

そして、高崎市もいろいろとチャレンジをしているからこそ、成功に結びついているのだなと感じます。

<考えて期待していたもの>より
「開発したもの」がもっとよければ、
それだけ努力し、熱心にやったからだ。
ある人が思ったより理想的であれば、
それだけ熱心に努力したからだ。

キリスト教福音宣教会-摂理 チョンミョンソク牧師による箴言

そういや、おともだちのOWLちゃんのお母様も群馬だそうですが、
OWLちゃん(保育士OWLのぶっちゃけ日記:私は愛を背負ったカメムシ)がオモロイのも
群馬県民の血を引いているからだろうか・・・・。

群馬のみなさんの
チャレンジ精神&企画力素敵です。
やはり開発・前進が希望的ですね!!

 

<存在物>もすべて「長所、短所」がある。
しかし「長所」を見て好み、好きで喜ぶ。
<人>もそのように見なさい。
「長所」を見て、好きで喜び、
「長所」を見て接しなさい。

キリスト教福音宣教会-摂理 チョンミョンソク牧師による箴言

やまなしの良い所も、自分の良い所も、もっと見つけて行こう
そう思いました。

↑群馬の榛名湖

競歩大会で思い出す人は見た目ではないってこと。

あまり足が速そうに見えないようで、走ると「意外に速いね!」とよく言われる昔も今も。

どちらかというと、長距離のが性に合っているが、わりと速いかもしれない。小学校の時は選抜に選ばれたこともあった(^_^;)

しかし根っからの文化系なので
「意外に!」というのはその「わたしは文化系です」というオーラが出ているのを読み取られているのかもしれない。

秋空のもと、近所の高校で競歩大会が開催されているを見て、自分の高校時代の競歩大会を思い出した。
練習の最中、学校の近所のパン屋におやつを買いに行ったこと。
競歩大会当日は、速く走った分、速く上がれるのと、その日が映画の日で1000円で見れる日だったから
映画見に行きたいその一心で走ったこと。

まじめそうに見えると昔からよく言われてきたが、
やはり人は見かけによらないのだなぁと自分を見て思う。
今朝の箴言

「<人>は前後、左右、上下の「六つの角度」は見てこそ、その存在をちゃんと見るようになる。
だから「いろいろな角度」から人を見て考え、判断しなさい。キリスト教福音宣教会-チョンミョンソク牧師による箴言」

しみじみその通りだなぁと思う。

ちなみに、映画見に行きたいという不純な動機でありながらも
文系の身としては14キロ走るのはけっこうキツくて、何度歩こうと思ったか・・・
しかし、止まって歩こうとする瞬間に

「あなた方は知らないのか。
競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなた方も賞を得るように走りなさい。」
「私たちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。」コリント人への第一の手紙9章24節25節

パウロ先生のこのメッセージがとっても脳に浮かんできて・・・
朽ちない冠ってなんなんだろうと、考えながらひたすら、聖句が頭に浮かんで離れなかったから、それを繰り返し考えているうちに、肉体の限界を超えて、なんだかわからない恍惚感に満たされ
自分の限界を聖句で超えられた体験の方が
映画の内容よりも濃厚だったという不思議な思い出。