『問題』を乗り越えると生まれるモノ。

「大皿に入ったサラダ見なかった?食べたりした?」と朝から形相が迫力ある妹君。

びびりながら、「今朝は見ていないし、食べていないよ。」と私。

しかし、・・・思い当たるのは、私が昨夜食べたサラダ。

どうやら妹(肉の姉妹かつ摂理姉妹つまりメンバー)と半分個にする話だったらしい。

チーン。。。

「後免わからず。食べちゃった。。。。」

冷蔵庫やら戸棚やらバタンと閉めたり、
「たべちゃったじゃねー」と捨て台詞を吐いて去って行く荒れ狂う台風のような妹君。
(さすが血気の血統・・・・昔の私を見るかのようだ。神様、申し訳ありません。)

本当にサラダが食べたかった模様。
作ってあげるには、出社時間的に無理。
そして、なによりも台風状態の時には何を言っても跳ね返ってくるのは負の連鎖。。。。

自分の不注意・確認不足でトラブル発生。

聖霊様にどうか私がこれを通して悟る事、悔い改めて次元上げられるように助けて下さい。と報告相談しながら会社に向かいました。

そもそも、妹君と私の考え方と感覚が実はかなり極と極で和を成すことは至難の業。

平和と和睦。どうしたらなせるのだろう。

私たちが神様の喜びになる生・・・

どうしたらなせるんでしょうか。。。と祈りながら会社でお仕事。。。

まず、一つになれない原因。
「何言ってんだ~」的に私の考えを主張したくなる心を認めた。
これがあるとまず平和なせない。

そもそも、何よりも争う状態をみて誰が心痛めるのか?

神様だ。

神様のその思いを少しでも感じられたとき、自分の言い分という「考え」から抜けだせた。
聖霊様の感動感化に感謝。

相手がどうこうというよりは、私が正しいかどうかというよりは、神様が正しい。
神様の願い平和を成すことが正しい。
相手の思いをまず受け止めて、どうしたら解決に向えるのか?

愛と平和を成すチョンミョンソク先生の姿を思い出した。

先生は言葉ではなく
「行ない」で伝える方。
神様の愛で接する方。

よし。
お詫びのタルトを買って帰ろう。
そして、私が足りないところは私がもっと気を付けて、ちゃんと確認しよう。

タルトを買って家に向かう時、思った。

今までの自分にはない考えを行なっている・・・・次元上がった?もしかして?

問題を問題のままにすると心も重く・痛いが、
乗り越えるならば
「いきさつ」になると

タルトのお返しにくれた特製バナナジュースを見て思った。
タルト2

(2017年7月23日Up記事をリライト)

何でもない自分が、どれほど大事なのかを感じた説教。

わたしは存在していても良いのだろうかと
居たたまれなくなる心がMAXになる都度、献血に行っていた過去。
血管が太く、血液濃度?も濃いという事で「献血向きネあなた!」とお墨付きをいただき、献血の常連者になり
腕に針の穴の跡が出来るほどになっていたそんな自分。。。

「必要な存在」と思えるのはなかなか難しくかつ申し訳なく、神様を認め信じるようになっても
自分の価値を認められない自分の考えに苦しんでいた無駄な考え貧乏な自分に
「自分の存在の必要性」がしみこむように染み渡ったのが
「神経」についての説教だった。

信徒は神経のような存在であり
指導者は、心と考えのような存在だと説いてくださったその説教。

ただ、あなたは大切な人なんだよと言われてもどのように?というのが分からなかった私。

「神経」について先週の主日礼拝から水曜礼拝で丁寧に神経の重要性を解いて下さりながら、
今週の主日礼拝の説教で
「実はあなた自身が神経だったんだよ!」と言われて、ジーンとしました。
そんなに大切だったんだなと。

「<団体>を治めるとか<国家>を治める時、従う人達を厳しく治めるからと言ってよく治められるのではありません。<導く指導者>は≪心と考え≫です。<従う人達>は≪神経≫なので鋭敏です。」

「神経は肉体世界で、心考えは精神世界です。
肉と神経は直接身を持って味わい、感じるけれども、心は肉ではないので直接感じることはできません。
先ず、肉が身を持って味わい、神経が身を持って味わったら、その時にはじめてその反応で心と考えが感じ、分かるようになります。」

2017年12月3日「神経を鋭利にし、心で治めなさい」より引用

 

チョンミョンソク先生の説教は
あいまいさがまったくなく
何より、小難しい表現がいっさい無い。
わかり易く文章で伝えることはすごく難しいのに、わかり易い。

指導者と従う人の位置と役割について、これ以上ないくらい明確に
そして、どちらも必要なんだという事が的確にわかるように教えて下さり感服の至り。

大きな啓示の御言葉だと銘打たれていたその通りだと
読み返すたびに思う日々。