ハネダシのトマトから教えてもらったコトを伝えたい。

母の知り合いの方からハネダシ(売り物の基準に至らなかったモノ)のトマトをいただきました。

これのどこがイケナイのかが、まったくわからない見た目&おいしさ。

取引先の基準なのか、ご自身で設定された基準なのかわからないけれど、美味しいトマトの恩恵をあずかれたことに心から感謝。

作られた農家さんスゴイですよ〜そして、下さった神様ありがとうございます〜と心の中で叫びつつ、ファイトケミカル🍅豊富なサラダを作りました。

最近、素敵な五月晴れが強度を増し、夏を感じさせる時があったので「夏野菜食べたいなぁ」と思っていたところだったのです。

私の心のつぶやきをも拾ってくださった神様に感謝しながら🍅頂きつつ「しかし、この基準ってどこにでもあるよね・・・」

ちょっと最近嫌な思いしたことが思いだされてきて
「基準」ってやつは・・と。
物思いにふけりました。

冷静に考えると自分にも選択の権利はあるんですけれど、
自分ってものにあまり自信がないとなんらかの基準に至らない自分は、「ハネダシ」なんだ。と凹むわけです。

凹みにかんして、それを埋める努力をするか、それも味にするか。
いろいろ捉え方や対処はあるんですよね。実は。

そして何より

私にとっては「ハネダシ」のトマトではなく、「神様がくださったプレゼント」だったように
基準では計れない価値がじつはある。

万が一、基準というハカリにかけられてちょっと気分凹んでいる方がもしいるならば
それはそうとしても、あなたには計れないほどの価値があるんですよ!と神様がおっしゃっていますとお伝えしたくなりました。

憤らなかったのはなぜか。

研修生活も早1ヶ月。

お掃除班があり、ひと班5人いるはずですが…

皆様、お友達とお話に花を咲かせていたり、テスト勉強していたり。。。

時間は、過ぎていくばかりなので

一旦「6班の人〜居ますか?」と叫んでみました。

「あ、スミマセン自分6班です。」と一人出てきました。

しかし、残りはでてこず(・・;)

急いで一人で4人分こなしました。

 

アタマをよぎるのは、

「やってらんねー」という不平不満も正直、少なからずありましたが😅それを上回ったのが、

最近聴いたチョンミョンソク牧師の姿。

弟子たちが食べ終わった食器をひとりで洗って、すがすがしく笑われたと言うはなし。

どうしたら、そういう心をもてるのかなあ?

それを考えながらモクモクと掃除してました。

私は、特に指導者でもなんでも無いただの一般信徒ですが人としてこうあるべきというか、こう有りたいなあと思うんです。

しかし、おもうのは簡単だが「行う」のはムズカシイ。。。

未熟さを痛感しました。(;´д`)トホホ…

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