コロナ離職通算3回目、それでも生きるその秘訣。

コロナによって仕事契約を打ち切られました~。発注がなくて、ものすごい暇な現場で、これはもしかして・・・と思って派遣会社の担当者さんに確認をお願いしたところ、12月までだった話が今月半ばまでという、超超短期になってしまいました。

小売業の製造や飲食業はかなりコロナで大変な打撃、影響を受けているのを私も切られる中で身をもって痛感せざる得ないですが、今回のこちらの会社、去年はここまでひどくなかったそうで、今年になって苦境が激化したという現状、波紋の受け方が時差があるようなことも製品と用途によってあるんだなぁとひとつ学びました。
異様に短い就業となり、ショックを受けましたが、こういうことは非正規雇用者としてはよくあるため、むしろ現場のパートさんたちが私の境遇を憂いて怒ってくれていました。(温かい人たちだなぁと感動)
当事者である私は、憤っても事態は変わらない結局そういう身の上なので、仕方ないと割り切って次を探す。それしかない。

そう、何より潔く切り替えられるのは今まで数えきれないほど天の助けがあって生き延びさせてもらって来たからです。

収入だけで測るならば、ひどい人生かもしれないですが、いろんな場所でいろんな人に会いながら、いろんな仕事をすることで、いろんなことを教えてもらえます。

しかしながら、先方の都合で切られて離職なのに次の就業の足かせとなる現実。
先日も、とある大手派遣会社の方とのやり取りですぐにやめるような人なんではないか?というレッテルを貼られる対応を著しくされてしまい、毎度仕事探しをするときに受ける、非情なやり取りを鮮烈に味わう時間再びとなりました。

旧約聖書の詩篇を書いたダビデが敵が自分を囲んで嘲笑わられる中、神様は自分を助けてくださる!と信じたその時の心情とはこれか!?と勇者でも重要人物でもない私ですが、四面楚歌のような職探しのときに毎度思います。同じ教会の人といえど「ちゃんと祈っていないからこんな大変な状況に陥っているのでは」といわれることもしばしばで。。。(まぁ確かに私そんなに義人じゃないとしても。どうかなぁこういう一言)
意図せず傷つける言葉ゆえに知らぬまに敵はどこにでもひそんでいるものです。

そんな中、

神様がどう助けてくれるのか?というとそれは、
「考えを良いほうに導いてくださる」ということ。

これが非常に大きいです。
こちらの全く話を聞かずに「で、何が嫌で前職を辞めたんですか?」と問うてくる派遣会社の応対だったり、6ヶ月や数年の雇用期間だとしても「短期ですね、長く働けないんですか?」と当時の状況も聞かず(リーマンショックの影響による会社都合離職と記載あるのに、理解されず)勝手に転職を繰り返す長続きしない人として扱う事業主の言動だったり、勝手にレッテル貼りをしてくるさまざま精神的な殺しにあうが多々あります。そのような中で、何社も書類選考落ちをしていると「あぁ私はどこにも必要とされようがない存在なんだ。」「がんばって生きていても意味が無いって言われてる感じがする」というノックアウトされた考えになるしかないことが起きる中、
「こう言う窮状です。やはり、私はもう死ぬしかないってことでしょうか?」と神様に直球で訊いてみると、どこにいっても実践できる神様の真理と愛の御言葉(みことば)を思い出させてもらえる(簡単にいうと前向きな気持ちになる)のです。
それらをたよりに生きた結果、相手の都合で無責任に吐き出された言葉に打ちのめされる必要はない。
むしろ、そういう非人格的なところで無理して搾取され続けるよりは、世の中を広い視野で見てみようと思えるようになりました。というのは、この日本、人口減少で人手不足が拍車がかかっていく社会なので、ちゃんと人材確保しようとしているところはそれなりに最低限の労基法を守るということや、コンプライアンスをちゃんと意識して経営されているのを昨今感じております。

なので、世の中の仕組みを知るというか、いろんな職場で業界と人に出会うことで得られる経験はお金に換算できない価値は確かにあります。それがお金に直結していなくても、私の人生がより好転していくために必要な過程であることは確かだったし、無情と非情さがあることが前提の雇用契約を結ぶよりも、自分がもっと選ぶことが出来る(自分の心身を大切にする)という観点で安い時給でも独り身ゆえ暮らし方を工夫すればだいじょうぶ!と気づかせてもらえました。

世の中で受けることすべてが自分の評価として受け止めてしまうと、私はもう無理なんでは?と不安や焦燥感にかられるしかないです。が、そうではない。いろんな人いろんな考え方を知る機会として、自分がよりよくなるための情報としてとらえるそれが次に繋がっていく。受け身ではなくて、能動的に自分の人生を生きる感覚が芽生えた感じがします。
そして、自分が受けた仕打ちを自分がしないようにしようと心に刻もうと思えるのは
いつも恨むことより、感謝と悔い改めをしているチョンミョンソク牧師があらゆる年代の人を大切にするその姿を思い出すからです。

そういう牧師から人生とはどういうものか?どう生きるのがよりよいことか?を教えてもらった通りに
本当に辛い、生きるのが大変ということも全~部、祈って神様に相談していくと、助けを求められることで「もう少しやってみよう」そんな立ち上がれる力をもらえます。


だから、もしチョンミョンソク牧師に出会っていなかったら、こんな風にまだ生きていこうって思える力も希望なんて無かっただろうとそう思います。
というか、私が生きていて何の意味があるでしゎょう?地球上の人間だれしも答えられないし、むしろお前には価値がないと言われるほうが多いでしょう笑

この間、ひさしぶりに40回目の献血に行ってきましたが御言葉聞いて神様の真理と愛で生きる意味と存在する意味を知らなければ、ひたすら献血で自分の存在意義を補おうとしていた痛々しい自分だったなと思いました。(若いころ、献血を月一の頻度でしすぎて、私の腕は献血の注射針跡があります(-_-;)

生きていることに意味がある、という優しいニンゲンの言葉は、私のようななんのチカラもない弱者には逆に重荷になるのですが、

神様の御言葉は、理不尽に搾取されるような社会のどうしようもなさを味わうときも恨まずに、生きることが出来るように、真理で善と悪を裂いてくれます。


また、ふと瞬間の夕焼け空の美しさや、

 

田園の美しさとかそういう自然を通しての癒しでだったり、たんに一時的にやり取りをした飲食店の店員さんを通して神様は愛で和ませてくれる。状況、環境すべてを通してならか生きるという原動力をくださる神様。

天地万物が何故作られたのか?自分は本当に生きていていいのか?そんな馬鹿なこと考えるなと言われて久しい私ですが、
それに全力で答えてくれる、一番完全で強力な存在が神様、その御言葉であると改めて思うのと
こんなに大したことが無い小さな存在なのに、その小さな声にも応えてくれる神様の偉大さと、その神様の御言葉を分かりやすく、愛でもって伝えてくれるチョンミョンソク牧師についてより多くの人に知ってもらえるようにいきたいな~とそう思うのでした。
なぜなら、死ぬことやめて、生きてみたいって思う人がたぶん確実に、多くなるだろうから。。。

軍歌と平和とオリンピック。

8月になると、祖父がよく軍歌を歌いながら涙目になっていたのを思いだす。

その涙は、憂いというよりは当時に戻っている感じのものだった。

祖父は事故や病気で何度か脳の手術をしたので障碍者手帳を持っていた。
感情、言動にちょっと個性というか特徴があった。

時々、年相応の年配者のようになるが、子供じみた冗談が多くてどこからが本当でどこからが冗談なのか区別がつかないそんな面白い人だった。

そんな祖父が「ここはお国から何百里~」と軍歌を歌いながら「曹長殿~」と涙する寸劇が始まり、B29がとかいろいろ
当時のことを語りだすあの夏の日が懐かしい。

私が小学生だった時は、夏休みには必ず戦争映画、ドラマが放映されていて、というか大体夏休み入る前には「火垂るの墓」を学校で鑑賞する時間があって戦争について考えさせるときだった。
それに輪をかけるように祖父の演劇的回想は、私に生々しい何かに触れさせる感じがしたものだった。

「あんくれぇのとき、だったな。満州に行ったのは。」と高校球児たちの試合終了の涙と一緒に涙を流す祖父の姿。
校歌斉唱と一緒に軍歌を歌いながら、当時見たものについてとつとつと語る。

祖父は、大正生まれにしては体格が良く、170センチ以上あり健康優良児という太鼓判を押されて陸軍に配属されたそうだ。
戦争に行く前は相撲大会で優勝をした写真があり、額に入れて飾ってあった。
兵隊になったら大砲を担いでかなりの距離を歩いたと言っていた。
戦争で死ぬのは、兵士だけじゃなくて、子供や女のひと、おばあさん、おじいさん、民間人もだ。たくさん、目を覆いたくなる思い出したくないキオクは多く語らずにいた。

もし、戦争がなかったなら、
野球や相撲で、隣国交流出来たかもしれない。

笑いあって、美味しいごはんを一緒に食べて、青い空の下で汗をかきながら入道雲を見上げながら、スイカを食べる夏の暑さも心地よいそんな日を過ごせたかもしれない。

「もうあんな思いはしたくない。」

いつも戦争のことを思い出した後に、その一言をつぶやく姿。

戦争がどれだけむごく恐ろしいものなのか、記憶の傷をなぞる祖父の姿と平和だからこそできるオリンピック競技の中継を見ながら思い出した。

祖父のその一言には、同じような思いを味わせたくない。そういう思いも感じた。

おじいちゃん、大丈夫だよ。

戦場で敵を愛して誰も殺さずに生還してきたチョンミョンソク牧師から愛って平和ってどうやって培っていくのか、成していくのかそれを学べるから。
自分の生活の中で出会う様々な場面で最善を尽くすことが出来るから。

なかなかむずかしいとしても、平和と愛を成すことを選択できるよ。
そうできるように、日々もがいているけれどね。
私だけのメダルを目指して人生を生きてみているよ。