夏の木陰のすばらしさよ。

ランニングの時間が朝少し遅い時間におこなったら夏の日差し全開に浴びることに・・・。

日差し

じりじりと肌が焼けること感じつつ、シューズの底裏からアスファルトの揺らめく熱気も確かに受け取りつつ・・・。
走っていく。
一歩、一歩けり出して前に行く。
蹴りだす意志をはっきりと必要なのがこの上下の熱の圧迫ゆえ。

しかし、

桜並木の木陰の下を走ると、上から下から来ていた熱の圧迫がいっきに無くなった。ランニング1

つつましやかな緑陰の風を心地よく感じながら自分も風と一緒になって走っていく。

 

 

先生が以前教えてくれた。
神様を信じる人生とは夏の照りつける太陽の中木陰に入るようなものだと。

どれほど生き易いのか、
自分の力をより良く出すことが出来る上に、

自分の進む方向が神様の願いと一つになっているならば、どれほど楽しいのか、それを感じるランニングになった。

ランニング2

希望はシャボン玉ではない。

私が摂理にくる前は、「希望」とはシャボン玉のようにきれいだけれど、

現実に触れば壊れるようなもので、実体がない心を慰めるものという意味でとらえていた。

摂理に来てから、人生の根本と目的をはっきりと知るようになったから、
現実の問題を大きな視点で見ることもできるようになったから、
取捨選択が新しくなった。

その中で、本当の希望は
自分が神様の御言葉で「考えて・行なう」時に、実体を見ることが出来た。
私の生活で
私個人に希望がシャボン玉ではないということが実証されたから、
恐らく、このようにこうだで、次のレベルで何か還元が出来るはずだと思う。

行なって確認ができる御言葉があるから、やってみたいとおもう気持ちが生まれる。

シャボン2