希望はシャボン玉ではない。

私が摂理にくる前は、「希望」とはシャボン玉のようにきれいだけれど、

現実に触れば壊れるようなもので、実体がない心を慰めるものという意味でとらえていた。

摂理に来てから、人生の根本と目的をはっきりと知るようになったから、
現実の問題を大きな視点で見ることもできるようになったから、
取捨選択が新しくなった。

その中で、本当の希望は
自分が神様の御言葉で「考えて・行なう」時に、実体を見ることが出来た。
私の生活で
私個人に希望がシャボン玉ではないということが実証されたから、
恐らく、このようにこうだで、次のレベルで何か還元が出来るはずだと思う。

行なって確認ができる御言葉があるから、やってみたいとおもう気持ちが生まれる。

シャボン2

Birthday。

先生はご自分の誕生日にむしろみんなによくしてくださる。

わたしが初めてWMDに行った時。

先生の59歳の誕生日だった。
先生はみんなにお雑煮をふるまっておいしく食べさせてくださった。

こういう風に神様に感謝するんだなと感動した。

その姿に近づきたいものだと思いながらも、またしても今年も祝わってもらうばかりになったが・・・(^_^;)

父と母に感謝して、敬いなさいとチョンミョンソク先生いつも見せて教えてくださったので、その姿と思いを考えながら、

両親通して育ててくれたこと神様に感謝する心で料理を取り分けた。
普段話す機会がなかなかなかったので、何気ないことばかりだが話す機会にもなった。

やっぱり会話下手な私たちだが、
互いの心が穏やかになる対話が少なからずできて、感謝と感謝と感謝でおいしいごはんだった。

誕生日。神様にいろんなことを感謝するお祈りを捧げました。
こういう人生になったこと感謝します。

 

両親がいい歳になってきた私に対して、
わざわざ、ごちそうしてくれるのを見て

神様も聖霊様も私のことをこのように愛してくださっているのかなと思った。