行なって感じる。

秋空と稲穂の色合いが美しいと思う季節。

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蒔いて植えて、刈り取る季節。

 

 

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刈り取る時に刈り取らないといけない。
<刈り取る>ことも「<行なった人>だけが感じる。」事がある。

稲をかけてつるして稲穂を乾燥させる過程を今はコンバインという機械でしてしまう家が多いが、私の家は親戚一同を呼びながら吊るす作業をする。
この過程がもくもくと単調かつ時間と労力がいる。。。
しかし、天日に干したほうが確かに甘くておいしいお米になる。
そして、お米一つにここまで時間と労力がかかるのだと思うと、ほかのすべてのものが、簡単に存在しているわけではないと
思うし、感じるしかない。

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天気は人間は思うようにできない。

神様が下さるものの尊さ、さりげなさすぎる尊さ。

生活も、毎日繰り返しのように思えることも、実は存在していることがとても大きい。
さりげない尊さは「行なってこそ」感じることが出来る。と改めて、感じた。

自分が存在させてもらっていることばかりだと心が低くなった。
そして、まだ「行えていない事」を急いでしなければと思った。

捧げることのプロを見たから。

何で毎週礼拝を東京まで捧げに行くのか?

肉体が疲れたり、お金かかったりすることは確かですが、それ以上に神様が自分に答えてくださる事が
私の生きる力・糧だからです。
・・・・なんていったらカッコイイですけれど

ときに、自分の肉体が辛いなと思う時、原稿や映像で御言葉を得たらいいんじゃないか?と思う考えよぎることもあります。
でも、倒れて動けないという事でもない限りは、私が存在する理由とこれからの生きる方向性を、真実につかむには
そりゃそれなりの代価必要だよと、もう一人の自分が怠慢な私を天使と共に説得してくれて、東京へと向かいます。
私の肉体があまりにもダダこねる時は父とか通して「今日は行かないのか?礼拝に」と直接働きかけてくださる天に感謝。

心を捧げる。愛を捧げる。礼拝を捧げる。
真心と真実な心で捧げると、かならず神様は答えてくださること、教えてもらいました。

いろんな自分の考えとの戦いの中で、先生を思います。
むずかしい状況があるとしても、いつもどこでも真実な真心で、神様を喜ばせるその姿を。

どうしたら私もそのような愛で神様を喜ばせることが出来るのか。
見えない神様を見える人のように愛する。
その先生の姿からもっと、御言葉学ぼうと思います。