捧げることのプロを見たから。

何で毎週礼拝を東京まで捧げに行くのか?

肉体が疲れたり、お金かかったりすることは確かですが、それ以上に神様が自分に答えてくださる事が
私の生きる力・糧だからです。
・・・・なんていったらカッコイイですけれど

ときに、自分の肉体が辛いなと思う時、原稿や映像で御言葉を得たらいいんじゃないか?と思う考えよぎることもあります。
でも、倒れて動けないという事でもない限りは、私が存在する理由とこれからの生きる方向性を、真実につかむには
そりゃそれなりの代価必要だよと、もう一人の自分が怠慢な私を天使と共に説得してくれて、東京へと向かいます。
私の肉体があまりにもダダこねる時は父とか通して「今日は行かないのか?礼拝に」と直接働きかけてくださる天に感謝。

心を捧げる。愛を捧げる。礼拝を捧げる。
真心と真実な心で捧げると、かならず神様は答えてくださること、教えてもらいました。

いろんな自分の考えとの戦いの中で、先生を思います。
むずかしい状況があるとしても、いつもどこでも真実な真心で、神様を喜ばせるその姿を。

どうしたら私もそのような愛で神様を喜ばせることが出来るのか。
見えない神様を見える人のように愛する。
その先生の姿からもっと、御言葉学ぼうと思います。

実を結びたい。

オープン行事の最後の合わせ・通し練習に行ってきた。

練習だけれども、賛美は神様に向けて捧げる歌なので、「受け取ったよ~」という反応がある。

感謝いっぱいの歌詞に自分の気持ちを表現するときに、神様が喜ばれているのを感じるし
今まで知らなかったことを気づかせてもらう神様が下さるメッセージがある。

摂理のオリジナル曲のみで編成されている曲目の中には、チョンミョンソク先生の作詞作曲や
先生の書かれた詩にメンバーが曲を付けた作品もある。

その中の一つ、「生」という先生が書かれた詩の曲。

「いそいで深く掘り、水と堆肥惜しむな」
人間を木にたとえて、自分を育てなさいという事を表現されているこの部分。

本当に、惜しみなく御言葉を教えて下さっている先生の姿が思い出されて、
人生のすべてを注いで教えてくださった、一つ一つのこと。

のどがかれても、伝えてくださっていた時のこと。

熱が出ても、顔がはれても、伝えてくださっていたこと。

原稿を書くのに書けないような頭痛あっても原稿を書き送ってくださったこと。

何があっても感謝されるその姿、神様をどのように愛するべきなのかを見せてくださったこと。

どのように祈るべきなのか、見せてくださったこと。

先生はいつも、神様と近くなれるようにして下さって来た。
私がもっとよく生きることが出来るように、教えてくださって来たなぁと思って、

感謝と、申し訳なさで視界がにじんでしまった。

ここまで教えてくださった先生に甲斐となる実を結びたい。
そう本当に心から思った。