暗雲なとき。

心と考えがもしゃもしゃ・モヤモヤ・暗雲めいている時。
祈りにくい。。。

その暗雲を蹴散らさずに祈ると、ひじょーに表面的な、簡素な味のない祈りになる。
聖霊様の表現だと「砂漠で一人ぼっちのトークショー状態」。

暗雲はまさに自分の考え。

暗雲を突き抜けるまで、「神様の考えください」と神様の考えをもらえるまで祈るか。
暗雲を聖霊様が吹き飛ばしてくださるまで、ひたすら賛美するか。

過去のイキサツを思い出して、神様がしてくださったことを思いだして、
感謝することで暗雲がじわじわ無くなるようにするか。

そもそも、暗雲がどうして起こったのか、
原因理由を主と共に究明をして御言葉で裂くべきものを裂くか。

暗雲がリアルに今私のココロ考えに立ち込めていて、
主を感じられない・神様の愛が遠くにある感じがしますと天に実況中継をするか。

暗雲を突き抜けるポイントは
暗雲の向こうには、かならず澄み切った美しい空があるから
それを信じて、さまざまやってみること。

チョンミョンソク先生の精神「最後まで」。
その精神を学びながら、今日も考えの戦いに行ってきます~。

一番の敵との和解。

一番仲良くすべき、存在と仲良くできない私。
自分自身が一番の敵。

この矛盾がいろいろな弊害を生んで来た。。。

こんな自分が愛されるはずがないという箱に自らを閉じ込めるし、
自分などいないほうが周りに迷惑が掛からないだろう・・・とか思っていた。。。
10代の終わりに読んだ太宰治の「人間失格」。
「生まれてきてすみません」主人公のその一言が私の気持ちを全部、すっきり代弁してくれていた。

そんな、こんなで病んだ心・考えだったので、健康なクリアな考えを持っている方と共にすると
勝手に落ち込み、勝手に傷つく事が多かった時期もあった。

いろんなことがあって、解かれていって、今がある。。。

神様を知らなければ絶対愛を知らないから、自分の存在が不安だったんだな~
神様という存在が目に見えないからこそ絶対的だということも、ちゃんと神様と交通するお祈りを体験してこそ納得するな~と。

神様と心をやり取りするようなお祈り。
それが、自分の心と考えが変わるようになる。。。

だから、祈る事が私にとって一番の力。癒しの始まりだったなとおもう。

中高でも毎日礼拝で祈っていた経験があるけれど、
一番具体的に祈りについて教えてくれたのは摂理だった。

具体的な祈り。
たとえば。。。。

自分の前に神様がいると思って、対話するようにお祈りする事。

これが私の神様との交通の初めの一歩だった。

そして、この基本が本当にいつも大事だなと思う。。。
自分自身が一番の敵だったけれど、神様と対話することで、自分と和解し助け合えるようになった。
自分のことが嫌いじゃない人にはまったくなんの話か分からないだろうが。。。

世の中には、こういう人もいるのです。そして、学問的な知識では解けませんでした。
そういうお話であります。。。