冷たい心を溶かすもの。

 

今回、月明洞窟の散策路で韓国のメンバーから温かな挨拶をしてもらった時や
売店前で軽食食べていた時、、
親近感もって自分も同じの買ったよ~美味しいよねと、にこやかに挨拶してくれた年配の韓国人のメンバー通してあったかな喜びをもらった。

嬉しいなと思うのは、距離感が全くなかったから。

韓国と日本の間には解かなければならない問題があると感じたのは
初めて韓国に行った高校の修学旅行だった。

その頃はまだ韓流ブームもなく、日韓協賛ワールドカップの前だった。
韓国は、近くて遠い国、そんな感覚の時だった。
ソウル市内に独立運動で有名な記念碑があるところに行った時、韓国人のおじさんから話しかけられた。
「あなたたちの先祖が何をしたのかをちゃんと見て学んでほしい。私がなぜこんなにきれいな日本語を話せるのかを知って欲しい。そして、二度とこのようなことがおこることが無いようにして下さい。」とても流暢な日本語で(まったく癖がないといって良いほど)そのようにおっしゃった。

憎しみや、恨みの感情はなく、ただ悲しく辛い事が繰り返されることが無いようにと願う心だけが感じられる一言に、
申しわけなさと共に、日本が第二次世界大戦で行なったことをあまりにもわかっていなかったことに恥ずかしさを覚えた。

日本が韓国を植民地としていた時代があることを知っていたが、それがどういうことなのか
個人の人生と民族の歴史にどのような影響を与えるのかを、現実として認識させられた。

起きてはならない戦争、絶対成すべき平和。
全人類の願いをどのようになして行くのか、その時からより具体的に現実的に考える機会になった。

幾度となく考えては思考の迷路に入り、答えは見つけ出せずにいたが
摂理にきて
ベトナム戦争の戦場で自分が殺されるかもしれないような瞬間も相手を抱きしめたチョンミョンソク先生の話と、月明洞で出会う世界各国のメンバーの笑顔と温かな挨拶を見て思う。

戦争をどうしたらなくせるのか。
戦争がもたらした傷はどのようにして無くして行けるのか。

それは、人間の考えを越えた、神様の愛だと答えを見せてもらった。
生活の中でも、それは私個人と家庭でも、それを持ってこそ平和を成せるとかみしめている。

小さい頃だけじゃない。

魔女の宅急便の主題歌の出だしの歌詞に「小さな頃は神様がいて」とあるけれど、

人には、神様を信じる心・思う心が備わっているな~と感じる。

その神様がどんな方なのか。
そして、自分の人生と自分という存在がどんな意味があるのか?
それを知らないと「小さな頃は神様がいて」ということになってしまうんだな~と思う。。。

私が4歳の時に、妹が生まれた。
父は、「お姉ちゃんになったから、玄関掃除をしなさい」と私に命じた。納得できない・・、遊びたい・・・と、ふてくされながら掃き掃除をしていた。
その私を見て、クリスチャンの伯母が「神様が愛しているから、そんな顔をしないでね。」と言ってくれた。
「神様が私を愛してくれているんだ~」となぜか嬉しくなって、「神様が私を愛しているならば、頑張らなくちゃ」と玄関掃除を張り切って掃除をした。

今でも覚えている経緯だが、成人してから思いかえすたびに、あの嬉しさの強烈さと
そして、頑張ろうと思う心が湧き出てくるのはなんでだったのか?不思議だった。
摂理で聖書を学ばなければわからないままだったなと思う。

 

神様を知る事は自分の存在の価値を知ること
そして、自分がどれだけ愛されているのかを知りたかったら、神様を愛してみること。

この2つを私は摂理でチョンミョンソク先生から教えてもらった。

現在進行形で、人生通して、さらに学んでく。