自由になる知恵。>対人関係

最近、指導者との関係で苦しんでいる子の話を聞いた。

色々たまりにたまっていたことが、あることをきっかけにばぁーーんっと破裂したみたいな感じ。

役職があっても、使命があっても、それが人間の高低を示すものではなくて、個性どおりに天が用いるためのものであり、
天の前では兄弟姉妹なのだ。という御言葉が最近あったので、それを紹介したところ

「楽になりました」と言っていた。

指導者のイメージが、自分の中になんらか既存の概念があるとそれで苦しい場合が結構あるかもと、
ヤングなかんじの方にある種の傾向として感じられる。
指導というのが上から下みたいなイメージ、優等な方が劣等な者を治めるのかしら~みたいな。
「指導者」ではない人は「指導される」側として、なんか負担感感じてしまって仲良くしたくない気持ちが私は当初あった。

天がいろんな過程を与えてくださって、神様のおっしゃる指導者の意味をちゃんとわかって
そして、核である「天と私」という一対一を掴む時、摂理の人間関係も楽になった

相手を通して、傷を受ける時、苦しみを受ける時
お祈りして、天に訊いて
そして御言葉で答えをもらって、溶けて行った既存の概念。

悩み中のその子も、もっと自分と天が近くなるように、新しい自分になる実践の時にしますという決心をしていた。

天との関係がまず解かれていてこそ、兄弟姉妹との関係も和睦する。
天の心情。天の愛を知る時に、その愛が自分の心に満ちるから、相手にもその天の愛で接することが出来るようになる。
もっと、そうなりたい・・・・。と心から切望。

ありのままの愛を
ありのままに伝えられる人を目指したい。
そう、チョンミョンソク先生みたいに。

街を通してもらった『実践すること』のメッセージ。

甲府市役所が立て替え中の時、工事の壁に寄せ書きをしよう~というイベント?があり
その中に「山梨なんもない。つまんない。東京から来た人より」って書いてあった。

これって・・・・
銭湯ですけれど、水着を着て泳いでもいいですか?って言っているような感じなんですけれど。(^_^;)

しかし、こういう一言に田舎人は「やっぱり・・・・」と背中まるくなっちゃうのだろうか。
と思いきや

ここ数年で山梨もぶらっとよれる田舎っていうコンセプトで観光誘致しているし、
甲府駅周辺を整備して住んでいる人にも訪れる人にも魅力的な街を目指している感じ。

自分自身もこのようにこうだ。

✔短所の様な部分も自分にしかない個性にして魅せるくらいに作る事。

✔なければ、作る。

実践することについて、街を通して神様からもらったメッセージ。

<自らすべきこと>は「自ら実践」しながら存在させなさい。

キリスト教福音宣教会-摂理 チョンミョンソク牧師による明け方の箴言

自分のすべきこと、について深く考えさせてもらいつつ、生活の細かい所から新しくしようと思いました。