実はみんな知っているようで知らない。

人生の問題はいつか肉体は死ぬことわかっているのに、後悔しない生き方をちゃんと知らないということだと思う。

中学3年生の時、心が砂漠の様だった。
担任の先生に「自分を大切にしなさい」と言われた時、

どうすることが大切にすることなのか教えてくれないのか?
大切にすることがわからないから今の状態なのに・・・解決にならないじゃないか。

ちゃんと教えてくれないん大人に幻滅した。
結局、人は人の痛みとか苦しみとかそこまでわからないんだなと
思った。

でも、その担任の先生は言っていた「生きていれば、いつか分かるから生きていなさい」

今わかりたい。わからないまま生きていくのは辛いじゃないか。
生きる事をちゃんと完全に教えてくれる人に会いたい。
自分を大切にすることを知りたい。

自分を苦しめる怒り・憎しみそういった考えや行動をどうしたらなくせるのか。
ちゃんとわかるように教えてくれる人に会いたい。

生きるならば後悔しないで生きたい。

何が正しくて、何が悪いことなのか
理論とかじゃなくて、心も納得ができるように教えてくれる人に会いたいと渇望していたことを思い出した。

今はわかる。
人生の苦痛を味わい尽くして、体が擦り切れるほど求めて得たことを惜しみなくわかり易く教えてくれる先生に会えたから。

あとは私が「どれだけ行なうか」しかない。

幸せは感じるとおりにくる。

<幸せ>は「感じるとおりに」来る。

何が幸せなのか「考える」通りに「感じられる」。

考えとは認識。

考え一つで幸せは来る。

たとえば、重たそうな灰色の梅雨空。
それに対して、澄みきった青空を吸い取ったかのような紫陽花。
青い空を見たいと思いながら歩いていた私に向けて、神様からのプレゼントじゃないかと考える時、自分に向けての神様の愛を感じる。

いつも、どんな時にも「考え」がどうあるかによって「しあわせ」は感じられる。
神様はこの世界を愛でつくられたから。