見えない神様をどうやって確認するのか?Part 1

祈りです。

祈ると答え・反応があるんです。
マジで!

たとえば。。。

私の職場の勤怠計算。数年前は15分単位で切り捨てられていました。。。
どういうことかというと、17:53で打刻したら17:45という集計になり。空白の8分が生じる・・・。

「これつもりに積もったら、1か月で相当な時間になるんじゃないですか!?神様ッ!!!
私が神様のものならば、私の時間は神様の時間じゃないですか???
どう思われますか?これは義ですか?不義ですか?」

と詰め寄るお祈りをしたところ・・・・

 

数週間後に、労働局の監査が入りました。
今では、1分ごとにキチンと集計されています。

「そうか、労働局を使えばいいんだ」と学びました。

また別のところで働く時「おかしくね?これ?」と思うことあったら
神様と労働局に通報しようと思います。無知の中で、搾取されていました。。。自分の価値時間の尊さを見直す機会になりました。(遠い目)

話戻しますが

見えない神様を確かに感じること・信じることが出来る体験することについて。

Point1.神様の視点に合うように祈るということ。

それはどういうことか?

【御言葉で祈る】
~っておっしゃったじゃないですか。それならこれはどうなんですか?とか
~と言われても私にはわからないです。わかるように教えてください。とか。

この「~」のところに入るのが『神様の御言葉』です。

上に書いた事例は

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、私はあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手を持ってあなたを支える。」
イザヤ書41章10節

をもって祈ってみました。

「神様、あなたを支えるってここに書いてあるじゃないですか?
何千年も前にわざわざイザヤさんに書かせて、
時を超えて私が読めるようにしてくださり、感謝します。
私を助けるのは私が神様のものだからでしょう?
神様、私の時間が無駄に奪われています。助けて下さい。
「時は貴重だ」と仰ったじゃないですか?すべてを治められる全能なる神様。
目に見えないけれども確かにいらっしゃる神様。
私を助けて下さるとおっしゃった神様この状況が神様の目から見てよくないと思われるならば、改善されるようにしてください。私が誰のものなのか、明らかにしてください。」

と。いうようなかんじで、御言葉に書かれている内容を持って、切実に訴えて御子主の御名で祈りました。(お手紙を書いて出す時、切手を貼って出すように神様に祈る時は神様が送られた方の御名を通して祈ることがポイント)

神様の御言葉は神様の約束・法なので、
神様のご自身がおっしゃったことその通りに答えてくださるんです。

「御言葉」は「神様の言葉」=真理です。
神様の愛、思い、計画、法、もろもろ様々な意味合いありますがひっくるめて表現するならば、「真理」。

神様が意図して人間に伝えた言葉。

人間同士も相手が何を言っているのか?がわかってこそ、心が通じるように
神様の御言葉を学ぶと神様と通じるようになるのです。

人間が祈ることで「やり取り」が成立するんです。
ゆえに、目に見えない神様を感じられる。いらっしゃるんだ!と確認できるのです(*^^*)

私が目に見えない神様を確かに信じることが出来るようになったのは
チョン・ミョンソク先生の信仰のスタイルを真似てみたからでした。
先生は徹底的に聖書を読んで(通読2000回以上)
書かれている神様の御言葉一つ一つを研究されて、
時には断食しながら答えを求め続けて(断食の祈り40日を何度も)
神様を求めたハイレベルな信仰を持っていらっしゃる方です。
(書いていて、すごすぎるなと改めて痛感)

先生は神様とどのようにしたら共に生きることが出来るのか?
実体験をもとに、どのように神様が答えてくれたのかそれをとっても面白く、わかりやすく教えてくださるから
主日礼拝がとっても楽しみです。

目に見えない神様を確かにいらっしゃると認めるしかないと思うのは。
神様の御言葉を学んで、御言葉で祈る時に、実感します。
全能なる神様はその条件に対して、かならず応えてくださいます。

 

自分の考えをはっきり持ちたいならば考えの倉を整理整頓することなり。

きゃりーぱみゅぱみゅさんが「自分の考えはっきりもった女性になりたい」とコメントされたそうな。
自分の考えをはっきり持っているような独創的なファッションや曲を発信している方だとおもっていのたで意外だった。。。

誰かのコメント・意見に自分の信念・考えが揺れないことを「自分の考えをはっきり」持つことなのかもしれない。
そう思った。

摂理にくるならば、そうなるしかないからオススメしたくなった。

何が≪要る考え≫で何が≪要らない考え≫なのか?
それが真理を学ぶことで可能なのだ。

自分を作るならば、よく考えて、よく研究することが大事。

何千年もかけて書き残された聖書。日本の歴史の倍以上の歴史を持っている聖書。
そこに何が書かれているのかというと、神様から人間に向けたメッセージ(愛・永遠な命)がその時代の人・エピソードを通して凝縮して
書かれている。

さて、約2000年前イエス様がおっしゃったことを弟子のマタイさんが書き記している

 

「そこでイエスは彼らに言われた
「それだから、天国のことを学んだ学者は、
新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人の様なものである」
マタイによる福音書13章52節

ここでいう、

天国のことを学ぶ」とは ⇒御言葉を学ぶ=真理を学ぶ

[倉]とは⇒「考え・脳

倉の主人は倉から新旧の家財道具を選別する決定権がある。
自分にとって必要な物がなんなのか、考えて取捨選択すること

神様は人に考え・自由意思を与えられたので、学んで選択する自由がある。
学ばないことも一つの選択でもある。
でも、聖書・真理を学ぶことで生き方・選択する軸がはっきりするのだ。

真理を学んで、真理で考えて、わからなかったことがわかるようになると
真理の光がさす道を行くしかない。
ゆえに、「自分の考えをはっきり持った人」になる。

納得できる順理、理致、矛盾なく、心情をもって教えてくださる
チョンミョンソク先生がちゃんと教えてくれるから、必要なことが何なのか、
いらないものが何なのか、
わかって生きることが出来るようになった。

自己中心的な事ではなく、より高い視点、神様の視点で世界を、自分を見ることが出来るようになった。
自分の考えだと取捨選択できず、ただいらない考え荷物が多くなったりするが取捨選択ができるから自由を手に入れる。
自分の考えをはっきり持ちたいならば、考えの倉を整理すること。
真理でもっての取捨選択だ。