個性と調和。

ある時、管理職をされていた女性から
「あなたはNoと言える人(自分の考えを言える人)だけれど留学経験があるの?」と訊かれたことがありました。

ホームステイはあるけれど留学はしたことがない旨伝えたら、
その方はイギリスで少し生活をした時があったが
全てのやり取りと判断が「自分に選択権がある」ということを初めて感じて感動したという話をしてくれました。

「No」という考えも認められ、尊重されることが当たり前な世界があることに衝撃だったそう。
日本の暗黙のルール的に「みんなに合わせることがいい」という感覚の違いに驚いたと。
また、自分が選んで自分の意見を言える喜びを感じて、これからは私は日本でまた生活するとしても絶対考えて選択しようとおもったの。
と話されていました。

神様の中で調和・平和に暮らすために必要なことを一つ見つけた気がしました。

おおかみと子羊。牝牛と熊が共に暮らすような世界>イザヤ書11章参照

否定をするための「No」じゃなくて
相手と自分が違うことを前提にして、受け入れる。認めること。ちがいを知る「No」
自分という個性
自分以外の個性を認めること、自分の思い・考えも伝えるように表現することって大事。

摂理の中でいろんな個性と出会うので調和するには
御言葉をもとに考えることを習慣にするしかないので、
わたしはそこで自分と相手が「良い意味で違う」という考えをいつの間にか身に着けていたのかもです。

相手も自分も神様の作品。

互いにすてきな作品になりますように。

 

平和

お酒飲まない理由を言ったら驚かれた件。

昔職場で、「何でお酒飲まないんですか?」って言われた時に

「お酒飲まなくてもおいしいご飯やスイーツでいい気分になれるからです。
あと、お酒飲んでも体や経済的にも良い事があまりないからです。」

と答えたところ、

「確かに!!!本当にそうだね!なんか目からウロコが落ちた感じがする。」
とおっしゃっていました。

キリスト教福音宣教会では飲酒は善しとしていないのは事実ですが、
それ以前に私の体質的に肝機能が弱いため飲酒は失点的行為。

私の回答に対して、
「たしかに!!!」と反応してくれたこの方は、お酒飲むことは飲めるけれども顔が赤くなるのが嫌だし、

お菓子の方が好き♡という人だったからですが、目からうろこを落とした!と言わしめるこのやり取りを通して、

もしかして「皆が飲むから、飲むしかないな」という人、多いのかな。と思いました。。。
自分がどうしたいのか。話すこと伝える事って自由なはずなのに。。。
もしかして、自分の考えを発言しないこと普通?なの?(´・ω・`;)と、

私は逆に驚きました。

自分も相手も否定せず回答をすればそんなに角は立たないので
もっと自分の意見をちゃんと言えたら、生き易いんじゃないかなとかんじました。。。

なりゆきや、相手に合わせるのは、知らないうちにストレスたまるよね~
ストレス社会日本。というのは、コミュニケーションする上での考え方・やり取りに原因あるんではないか?・・・と勝手にいろいろ考えちゃいました。
全ての人が真理で自由になりますように。と祈る心が生まれました。