点検。

高校卒業後、12年ぶりくらいに会った友達にショッピングモールでばったり会った時、
「まともになったね」と真っ向唐竹割り※ヨロシクな感想いただきました。

そうですよね。

自分でもそう思います。

御言葉聴いて、考えを直したり、新しくもらったりしましたから。。。
(‐∀‐;;イタタと思う気持ち2割と、
やっぱり摂理で御言葉聴いて良い方へ変化したと思うのは自分と家族だけではないと
はっきり証言していただけて
スッキリする気持ち8割だったことをふと思い出しました。

<現在行なっていること>はそれだけ能力があるということだ。
<現在できないこと>もやってのみ、100%能力を発揮する。

摂理 キリスト教福音宣教会 2016年9月28日水曜日の御言葉
「もう「実践」だけが残っている。 信仰の居眠りをせず、慎み、目を覚まして行ないなさい。」より

今日も御言葉で力もらって、出来た所、
出来なかった所を点検して
明日に備えます。

(○`ω´)ゞ

※唐竹割り:竹を縦に切り裂くように真っ二つに相手を斬り割ること。

百聞は一見にしかず。

直接見る事がいかに大事か、ということですが。
直接会って、話すこともいかに大事か。
それを感じる出来事がありました。

直接会って話せない仕事柄の分、
最大限、「良いやりとり」ができるように工夫をしなければと思う最近でもあり、
チョンミョンソク先生が、より伝わるように「伝える」努力を惜しまない常により良く変化されることの
すごさも改めて感じる今日頃でもあります。(3年前の説教原稿を読み返して感じました)

また、直接会うことも顔合わせることも大事ですが、ただ会うのではなく
心が通うように努力することもその分、比例するのがなおよい。
先生が常に聴き手の心を考えながら、もがきで原稿を書かれているのかもしれない姿を感じられ、そう思いました。