実を結びたい。

オープン行事の最後の合わせ・通し練習に行ってきた。

練習だけれども、賛美は神様に向けて捧げる歌なので、「受け取ったよ~」という反応がある。

感謝いっぱいの歌詞に自分の気持ちを表現するときに、神様が喜ばれているのを感じるし
今まで知らなかったことを気づかせてもらう神様が下さるメッセージがある。

摂理のオリジナル曲のみで編成されている曲目の中には、チョンミョンソク先生の作詞作曲や
先生の書かれた詩にメンバーが曲を付けた作品もある。

その中の一つ、「生」という先生が書かれた詩の曲。

「いそいで深く掘り、水と堆肥惜しむな」
人間を木にたとえて、自分を育てなさいという事を表現されているこの部分。

本当に、惜しみなく御言葉を教えて下さっている先生の姿が思い出されて、
人生のすべてを注いで教えてくださった、一つ一つのこと。

のどがかれても、伝えてくださっていた時のこと。

熱が出ても、顔がはれても、伝えてくださっていたこと。

原稿を書くのに書けないような頭痛あっても原稿を書き送ってくださったこと。

何があっても感謝されるその姿、神様をどのように愛するべきなのかを見せてくださったこと。

どのように祈るべきなのか、見せてくださったこと。

先生はいつも、神様と近くなれるようにして下さって来た。
私がもっとよく生きることが出来るように、教えてくださって来たなぁと思って、

感謝と、申し訳なさで視界がにじんでしまった。

ここまで教えてくださった先生に甲斐となる実を結びたい。
そう本当に心から思った。

新しい朝。

変わりたくても、変われない。

そういうジレンマのどつぼだった時、新しい朝が来ても、季節が変わっても
変化のない自分のココロを見て、ただ過ぎていく時間が恐ろしく、もどかしく、苦しかった。

万物が時にしたがって花咲き実を結ぶのを見ては、ひとり置いてゆかれるような気持ちだった。

「御言葉聴けば変われるよ」と言われた時、
自分のできる限りのことをしたが変わることが出来ず途方に暮れていた私にとって
半信半疑の心が5割
月も星もない夜の様なこの空虚感と焦燥感のココロに朝日が昇るかもしれない期待が5割だった。

宗教に答えがあるのだろうか?という疑念はあったが、
心理カウンセラーの先生に「あなたの知りたいことは、神様しか解けないことだ」と言われたことを思い出して、
神様がいるならば、教えてくださる機会をもらったことだと決意して、一歩踏み出したのを覚えている。

道を調べて、目的を確認して、自分の足がどこの地についているのか
足の裏に生きているという実感と感謝が生じるようになるまでは、いろいろあったけれど、

どこでも教えてくれない人生の根本と自分のココロの取り扱い方を教えてもらう
その貴重な情報を得るには必要な努力という対価だったと思う。

今は、新しい朝、新しい季節がくる時、恐くない。
私に力をくれることを感じられるから。

今日は主日礼拝。
太陽のように、必要な新しい真理の光と神様の愛を心いっぱいに満たそうと嬉しく準備する。