捧げることのプロを見たから。

何で毎週礼拝を東京まで捧げに行くのか?

肉体が疲れたり、お金かかったりすることは確かですが、それ以上に神様が自分に答えてくださる事が
私の生きる力・糧だからです。
・・・・なんていったらカッコイイですけれど

ときに、自分の肉体が辛いなと思う時、原稿や映像で御言葉を得たらいいんじゃないか?と思う考えよぎることもあります。
でも、倒れて動けないという事でもない限りは、私が存在する理由とこれからの生きる方向性を、真実につかむには
そりゃそれなりの代価必要だよと、もう一人の自分が怠慢な私を天使と共に説得してくれて、東京へと向かいます。
私の肉体があまりにもダダこねる時は父とか通して「今日は行かないのか?礼拝に」と直接働きかけてくださる天に感謝。

心を捧げる。愛を捧げる。礼拝を捧げる。
真心と真実な心で捧げると、かならず神様は答えてくださること、教えてもらいました。

いろんな自分の考えとの戦いの中で、先生を思います。
むずかしい状況があるとしても、いつもどこでも真実な真心で、神様を喜ばせるその姿を。

どうしたら私もそのような愛で神様を喜ばせることが出来るのか。
見えない神様を見える人のように愛する。
その先生の姿からもっと、御言葉学ぼうと思います。

使ってこそわかる。

本革と合成皮の違い。

見た目でもかなり違いが判るけれど、
高いけれど、使えば使うほどなじんでカッコイイ光沢が出る本革と
安いけれど、その分使うほどボロボロになる合成皮

ずっと使えるか、使えないか。

神様の御言葉<真理>と人間の<価値判断>の差もそれと同じだと思う。

真理は変わらない。
そして、真理を持って生きる時、労苦は代価になって得るものがある。

神様の御言葉で人生一生、甲斐を感じる生き方を得ること、神様に感謝します。

実際行なった上で
真心で伝えてくださるチョンミョンソク先生のように、もっと行なって、いい味出したいです。