秋の賛美コンサート。

キリスト教福音宣教会 オープン行事。
Autumn Event2016 開催されました。

賛美団も、おもてなし部隊もよりいっそうパワーアップされ、真心と感謝が満ち溢れていました。
歌いながら、この歌詞の通りだなと感じながら捧げられたことが幸せでした。

来場者のみなさんも前回の倍来られました。
最初は固い面持ちで緊張と心情の強張りを感じられましたが、一曲ごと、進むなかで
また、メンバーのあいさつ・メッセージや先生の説教映像など織り込まれている演目通して、
摂理ってどんな団体なのか実際を目で見て、確認され、その実体がわかる分、不安感が解けていくのが感じられました。

賛美団への真心減農薬有機肥料でつくられたメンバーの作ったお米で
これまた真心と愛で握って作って下さった、壮年部のみなさんのおにぎり。
家庭局の方が、小さいお子さんをみながらも作ってくださった焼き菓子。

このイベントを通して、メンバー一人ひとりが、祈りながら、感謝で真心で捧げる姿をみて、
言葉よりは実践だ。という先生の精神が思い起こされました。

感謝と愛。
もっとあふれるように、生きたい。
そう改めて、思うイベントでした。

今、現実に神様への感謝と愛がある生活を生きていること。
その等身大の姿が会の端々にあり、神様の愛を知らない方たちが
その神様の愛について触れられる時間だったのではないかと思います。

行なって感じる。

秋空と稲穂の色合いが美しいと思う季節。

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蒔いて植えて、刈り取る季節。

 

 

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刈り取る時に刈り取らないといけない。
<刈り取る>ことも「<行なった人>だけが感じる。」事がある。

稲をかけてつるして稲穂を乾燥させる過程を今はコンバインという機械でしてしまう家が多いが、私の家は親戚一同を呼びながら吊るす作業をする。
この過程がもくもくと単調かつ時間と労力がいる。。。
しかし、天日に干したほうが確かに甘くておいしいお米になる。
そして、お米一つにここまで時間と労力がかかるのだと思うと、ほかのすべてのものが、簡単に存在しているわけではないと
思うし、感じるしかない。

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天気は人間は思うようにできない。

神様が下さるものの尊さ、さりげなさすぎる尊さ。

生活も、毎日繰り返しのように思えることも、実は存在していることがとても大きい。
さりげない尊さは「行なってこそ」感じることが出来る。と改めて、感じた。

自分が存在させてもらっていることばかりだと心が低くなった。
そして、まだ「行えていない事」を急いでしなければと思った。