刃物の刃みたいな考えとは。

考えは形がない。
放っておくと、流れてしまう。

だから、刃の様な考えで切って治める。
雑草や木を整えるように切って治めなさいと今週教えてくださった。

雑草を抜くのも、
木を整えるのも、

目的があるから。

雑草が生い茂ったら、刈り取るべき実が育たない。
木が伸び放題に伸びたら、格好悪くなる。

刈り取るもの刈り取って、格好よく生きるように教えて下った。

自分の瞬間の気の緩みで、目的が奪われないように、格好悪い生き方にならないように。

安楽さ・安逸さ・怠惰に向かう考えを断ち切る、
刃の様な精神・考えを持てるように
考えをもっと研磨したい。

何様からの脱却。

自分の立場だけで、自分の見えることで考え始めるいわゆる、自己中心に陥ると
感謝の「か」の字は地平線くらいに遙かなたな場所へ行ってしまっているなと痛感した。

社会保険にもちゃんと入れて、有休もとれて、シフトもほぼ自分の申請通りにとおる
すごい祈った通りの職場なのに、
神様に対しての感謝が失われていることをはっきりと感じた。

業務の慣れによるおごり、繁忙期の忙しさ、さまざま目に見える環境を
そのまま「見て感じたこと」に考えが流れると「何様なの?」状態が起こるのだなと
改めて、気づかせてもらった。。。。

イスラエルの民がエジプトで懇願していた奴隷生活から抜け出させてもらったのに、
約束の地、カナンへ行く過程で
「エジプトでは肉もニンニクも食べられたのに、荒野では水さえ飲めない・・・」肉体思うこと感じることをブツブツつぶやいて、時には導いてくれるモーセのことを不信したり悪口言ったりして、神様の心を悲しませたことを思い出した。。。

私も同じだ。
なんて勝手なんだろう。人間は。。。

こーしてください。と切実に祈ったことが成されたことに対しての感謝が本当に足りなくて、薄情だ。と言われても仕方がないというか、それ以上に非情さを感じる。。。

聖書の事例を思い起こさせてくださり、悔い改める心を与えてくださったこと感謝した。

聖書を最近読めていなかったのですが、
自分の青年部のチームで聖書通読激励キャンペーンがはじまり
聖霊様の導きにいつも感謝します。

悔改めたら受け入れてくださる本当に神様の懐の広さを感じます。。。
そして、神様のしてくださったことを、忘れない
常に感謝し続けるチョンミョンソク先生の心とその姿勢に頭が下がります。