一番の敵との和解。

一番仲良くすべき、存在と仲良くできない私。
自分自身が一番の敵。

この矛盾がいろいろな弊害を生んで来た。。。

こんな自分が愛されるはずがないという箱に自らを閉じ込めるし、
自分などいないほうが周りに迷惑が掛からないだろう・・・とか思っていた。。。
10代の終わりに読んだ太宰治の「人間失格」。
「生まれてきてすみません」主人公のその一言が私の気持ちを全部、すっきり代弁してくれていた。

そんな、こんなで病んだ心・考えだったので、健康なクリアな考えを持っている方と共にすると
勝手に落ち込み、勝手に傷つく事が多かった時期もあった。

いろんなことがあって、解かれていって、今がある。。。

神様を知らなければ絶対愛を知らないから、自分の存在が不安だったんだな~
神様という存在が目に見えないからこそ絶対的だということも、ちゃんと神様と交通するお祈りを体験してこそ納得するな~と。

神様と心をやり取りするようなお祈り。
それが、自分の心と考えが変わるようになる。。。

だから、祈る事が私にとって一番の力。癒しの始まりだったなとおもう。

中高でも毎日礼拝で祈っていた経験があるけれど、
一番具体的に祈りについて教えてくれたのは摂理だった。

具体的な祈り。
たとえば。。。。

自分の前に神様がいると思って、対話するようにお祈りする事。

これが私の神様との交通の初めの一歩だった。

そして、この基本が本当にいつも大事だなと思う。。。
自分自身が一番の敵だったけれど、神様と対話することで、自分と和解し助け合えるようになった。
自分のことが嫌いじゃない人にはまったくなんの話か分からないだろうが。。。

世の中には、こういう人もいるのです。そして、学問的な知識では解けませんでした。
そういうお話であります。。。

すべてがチャンス。

疲れた時、うまくいかない時、落胆しそうな時、起き上がれそうにない時、倒れそうな時。。。

到底自分の力ではできない。

そういう時は、倒れながらでも瞬間、「神様」と呼んでみなさい。
神様がどのように働きかけるのかを見なさい。
そう先生が教えてくれた。

自分の考えでは、
起き上がれそうにないことも、神様は新しい考えをくれて、手を引っ張って起こしてくれるのを知った。

「信仰は理論ではない。実体だ。」

辛い時、苦しい時、一人だと思う時、それは一番神様と近くになれる時。
それは、まだ見ない新しい段階へと神様と共に昇る時。

全てがチャンスになるのが「実体の信仰」だと
わたしはチョンミョンソク先生から学ばせてもらった。

這い上がっていくような底力が自分の責任分担だけれど
神様に心を向けて呼ぶときに、目に見えない神様が私の考えの中に現れてくださるのが本当に味。

摂理でなければ、わからなかった味。
今日も、美味しく生きます。