摂理で「怖い」と思ったこと。

中央大学で摂理に出入りすることを止めなさいと
説得を受けた子がいる。。。

でも、摂理に通い続けていた。
そして、親にもオープンに説明してメンバーとルームシェアをしていた。

そうだよね。
何も悪いことをしていないから、ちゃんとやり取りが成立する話し合いできる親子ならば可能なのだなと思った。

その子はこうも言っていた「わたしはもう失うものはないんです。」

いろいろ考えさせられる一言だった。

失ったものがなんなのか、ちょっと聞きづらくて、いろいろ憶測してしまったのだが・・・
事実を調べようともしない一方的な大学側に対しての残念な思いなのかな~とか思ったりした。

または、全く別の意味なのかもしれないけれども。。。

 

事実を調べたり確認もせず、当事者の意思等聞こうともしない
「カルト集団」という暗黒色の色眼鏡で
摂理を見ている大学とそういう話をしてくる大人たちに怖さを感じることは、あったのではないだろうか。。。

しかし彼女は、
自分が目で見て、感じて、考えてたこと、貫いて
堂々と大学生活をして、大手の会社にも就職していった。

ちなみに、親とどんなやりとりをしているのか?と訊いたところ
「私がどんな話を摂理で聴いて、聖書を学んでいるかを知ってもらおうと思って
バイブルスタディを母に伝えてみました。」
とのこと。

信頼関係があったから、出来たことだと思うと話していた。

お母様は摂理で信仰生活をすることをまだ善しとは思っていないそうだが、
「あなたの人生だから」と言われ止められはしないと言っていた。

彼女の話を通して、いろいろと感慨深くなる。

いつでもできること。

仕事中に、強烈に無理だ。と諦めそうな気持ちが湧いてきて私を取り囲んだ。

今日やめても明日やめても、やめることは一緒だ。
むしろ、今日この瞬間に
どうしようもなく、やめたい気持ちになっている心をどうしたらいいか天に報告、相談しよう。

そう思って、破船しそうな心をノートに書いてみた。

自分の今の気持ちを天にありのままを伝えたら、

そうだよね。そう考えたら無理だなと思って、あきらめたくなるよね。
でも、あなたがする分と私がする分があるよ。
あなただけならば無理だろうけれど、私に任せてみたらどう?

そういう心が感じられた。

そうでした。
私ってたかが知れているわけなんだから、何を背負い込んでいたんだろう。。。
と、なんか楽になった。

自分の考えで出口のない迷路みたいな気持ちで暗くなりかけたけれど、
ありのままを告げたら、応えてくださる天を感じられて不安と焦燥からくる波が静まった。

諦めたくないけれど、諦める気持ちが生じる時、自分の力では進めない。
私の考えは不完全だから、完全な存在に助けてもらわなくちゃ。そう改めて思った。

呼んで考えて、頼った分、どこだろうと答えてくれる全能さにまた惚れ込みました。
いつも一緒に隣にいる神様なんだよと先生が教えてくれたとおりでした。

諦めそうな時、神様にありのままを告げてみてください。
待ってましたと、抱きしめてくれるように神様が考えに働きかけてくださいます。