小さい頃だけじゃない。

魔女の宅急便の主題歌の出だしの歌詞に「小さな頃は神様がいて」とあるけれど、

人には、神様を信じる心・思う心が備わっているな~と感じる。

その神様がどんな方なのか。
そして、自分の人生と自分という存在がどんな意味があるのか?
それを知らないと「小さな頃は神様がいて」ということになってしまうんだな~と思う。。。

私が4歳の時に、妹が生まれた。
父は、「お姉ちゃんになったから、玄関掃除をしなさい」と私に命じた。納得できない・・、遊びたい・・・と、ふてくされながら掃き掃除をしていた。
その私を見て、クリスチャンの伯母が「神様が愛しているから、そんな顔をしないでね。」と言ってくれた。
「神様が私を愛してくれているんだ~」となぜか嬉しくなって、「神様が私を愛しているならば、頑張らなくちゃ」と玄関掃除を張り切って掃除をした。

今でも覚えている経緯だが、成人してから思いかえすたびに、あの嬉しさの強烈さと
そして、頑張ろうと思う心が湧き出てくるのはなんでだったのか?不思議だった。
摂理で聖書を学ばなければわからないままだったなと思う。

 

神様を知る事は自分の存在の価値を知ること
そして、自分がどれだけ愛されているのかを知りたかったら、神様を愛してみること。

この2つを私は摂理でチョンミョンソク先生から教えてもらった。

現在進行形で、人生通して、さらに学んでく。

「怒られること」と「叱られること」。

その違いは、個人の感情をぶつけられるのか、
自分が良くなることを願って言ってくれる言葉なのかの違いだと
先生の弟さんでもいらっしゃるポンソク牧師のメッセージを通してそう改めて思った。

「神様感謝しますとばかり言っていたら、神様を知らない人から見たら頭がおかしい人なのかと思われる」なんて注意をしてくださるようなポンソク牧師。
言い方がきついけれど、確かにそうだ。
時と場合をよく見て判断しながら信仰生活や証をすることが周囲に誤解を生まない。
その釘をグサッと挿してくれる。

何が善くて悪いのか、世の中で、摂理で、沢山経験されてきた苦い事を通して
ポンソク牧師は、どうしたら後悔しない生き方ができるのか、
善くなることを願って叱咤してくださっていることを改めて感じる機会があった。

ここまではっきりと叱ってくれる大人は、なかなかいない。

自分の人生を懸けたポンソク牧師のメッセージを聴きながら
貴い存在に出会わせてくださった天に感謝がこみあがってきて、心が熱くなった。