あらわになりわかる。

昨日、ぐぉぉおおお~こぉれでもかぁ~と、ちぐはぐなやり取りをしたお客さんが多くて・・・

これは、悟れ。という啓示ですよね・・・・(-“-;)

と思っていたところ、今朝の箴言。

<自分がはっきり知っている事物や、万物や、平素よく通じるもの>に繋げて、「答え」をくださる。

キリスト教福音宣教会-摂理 明け方の箴言より

ちぐはぐなやり取りをちょっとご紹介すると・・・

CASE1.
「印刷できひんねん!元に戻ってるねん!!、さっきおしえてもろたけれど、もどっってんねん!!!」
「今どちらの画面を開かれていますか?」
「だからもどってんねん!」
(^_^;)
「画面の状態を分からないとご案内出来ないのですが・・・・(^_^;)」
「お前、ちゃんと案内できないやろ、同じこと繰り返しおって、さっきの人に変われ。」
「変わるとしても、状況が分からないと難しいので、もう少し教えていただけますか?」
「さっきから話してる!!」
ガックリしつつ・・・天を仰いで数秒助けを求めたら劇的に、操作指示を聞いてくれるようになり終わりました。。

 

CASE2.
「扶養親族の名前を消したのに、別の画面には名前がのこっているんです。これは?」
「かしこまりました。状態を確認したいので、~を開いてもらえますか?そちらの画面の左上の虫眼鏡のアイコンを押していただけますか?」
「名前を消したのに、残っていたんです。」
「はい。それを確認していくため、アイコンを押していただけますか?」
「え?どこの画面?」
ガックリしつつ、開く画面を最初からもう一度。。。

 

CASE3.
「別途現金で還付徴収をやり取りする場合、給与のどこに入力をしたらいいですか?」
「(・・・給与は銀行振り込みだから入力する必要がないため)別途現金の設定をしていただいているのをご一緒に確認させて頂きましたので、給与入力する必要がないご状況です。」
「え、さっき問い合わせをしたときに、出た人に来年の給与に入力するように言われたので、どこかに入力する必要があるのかなって思ったんですが・・・」
「別途現金でやりとりされるんですよね?」
「はい。」
「なので、入力しなくても大丈夫なのですが・・・」
「でも、入力するようにいわれたんです先ほどの対応された方に・・」
「しかし、お客様は、別途現金で行なわれるとのことですよね?」
「そうです。」
「それでは、入力不要なのですが・・」
「え、でも。入力しないと、金額が・・・・」
別途現金という単語自体が答え。なのですが・・・・
聖霊様~私の考えを取り除いて下さい~強く言ってしまいそうです~
(馬鹿にしている言い方に聞こえるような表現で傷つけてしまった失敗が過去あり;)
分かっていただける表現ができるように、うまく表現することが出来るようにして下さい~と天にヘルプをだしました。
そうしたら、
入力をしないといけないという思いこみがおありなのだという事を踏まえつつ、対処しなさいと。そういうインスピレーションをもらいました。

入力をしなければならないという必要性を与えてしまう説明がこちら側の対応にあったようで、
混乱をまねいたことをまず謝罪。
「銀行振り込みやり取りをしたい場合は来年の給与でやり取りをするのですが、そうではないならばこのままで何もする必要がないです。」
とお伝え。ようやく終話。

 

これと似たようなケースがあと6~7個あり、、
どのCASEそれぞれ核が同じで
「答えをちゃんと聴こうとしていない。」
「思い込みと自分の考え・感情が強い」

という2点。

あ~~~~、私がこのように天に接しているんだな~涙

と痛感しました。
そして、朝祈っていた事を思い出しました。
「わたしが今実践すべきこと実践することができるように悟らせてください。」
「悔い改めがちゃんとできるように導いて下さい。」
まさに、的確に状況通して教えて下さいました。
2016年ラストスパート&2017年スタートダッシュ。感謝で悔改めに励みます。

<人間>はいつも「問題」だ。その<答え>は「神様」でいらっしゃる。

キリスト教福音宣教会-摂理 明け方の箴言より

はげしくアーメンです。

御子の降誕は愛。つまりは、一人ではないってこと。

うどん屋であったか夕ご飯。
レジで精算したところ「聖夜を一人さびしく過ごさないために」というあおり文句で
12/24~12/26は夕方から釜揚げうどんが半額!というチラシをもらった。

「聖夜を一人さびしく過ごさないために」

聖夜=恋人・家族と過ごす
というイメージなのだろうか・・・・。

確かに見た目的に、私、お一人様でごちそうになっていたが、これをさっと渡してきたレジのご婦人のすばしっこさと
さりげなく大きなお世話な商業戦略に驚きを禁じえなかった。笑

たしかに、私もミッション系の学校にいかなければクリスマスはプレゼント交換・ケーキ食べる日だったな~
と思う。

イエス様の生誕の意味を教えてもらってからは
イエス様のことチャンと信じているとは言えないのに、あやかって?プレゼント交換するのはなんだか居心地が悪かった。

そんなわけで、神様がイエス様を送った意味をちゃんと教えてほしいですと中学生の時につぶやいていた。心の中で。
あれはたしか、15歳のクリスマスだったと思う。

ヨハネによる福音書3章16節
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

この聖句が毎年学校のクリスマス礼拝で用いられていたから、この聖句の意味が知りたかった。
一人も滅びないで永遠の命を得るためって、滅ぶことから救われるってこと、それを成すために
たった一人の自分の子供を送るって、どういうこと?

と。クリスマス礼拝の奏楽の練習をしながらよく考えていた。
そしたら、ある日。
雷が落ちるみたいに悟らせてもらった。あまりに、自分の考えを越えていたから、わかった喜びで
クリスチャンでもなんでもない、母に、神様の愛はすばらしいよお母さん!!と伝えた。

あれは、今思うと聖霊だったんだなと思う。

摂理人ならば、知っている聖霊の御働き。
摂理人でないならば、何のこっちゃと思う聖霊の御働き。
神様の愛を感動で悟らせる。
心と考えに神様の思いを伝えて下さるのが神の霊、聖霊です。

話が戻りますが、クリスマスは神様の独り子なる御子がこの地上にイエス様として生まれた日を記念する日です。
誰一人、地獄に行かせないように、救うために来られた御子。
その天の愛を記念し、喜び感謝する日です。
人間は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。そういう話を聴いた事がありますが、一人じゃないです。
心の扉の前に、常に御子主は立っています。

聖なる夜。御子が地上に来られたから聖なる日。
御子がなぜ地上に来られたのか?

知りたいと思うあなたの心に、聖霊様が教えて下さると信じます。