神様栄光週間、最終日。>まさかの電車貸切事件

1/15今日は、神様栄光週間の最終日。
おそらく、摂理のどこの教会も礼拝後に、芸術祭・栄光行事があったであろう日。

わたしも酉年ということで、一緒に歌とダンスで栄光帰しませんか?と
オファー頂いていたのだが
所用もあり、また私の歌とダンスを人前でするのは私のダンスと歌が神様に喜ばれているのかどうか
感じられにくいため、電車に揺られながら帰った。

日差しがあたたかくて、うたたねを瞬間してふと顔をあげたら

誰もいない。

左右の車両には人がいるのに、なぜか私の乗っている車両は
私オンリー・・・

あれ?
この時間って結構人が乗っているはずなんだけれど・・・・

これは、チャンスですかね~。

ってことで、2017年栄光週間に作成をしたオリジナル曲(作詞わたし作曲ともだち)を捧げました。

歌詞の中に「いつでも どこでも ずっと一緒 永遠に」っていうのがあるんですが
まさに、今これだな。
と感じられました。

私の告白に対して、
天の返信は
状況を主管して、演出をして下さる度量の大きな愛に感無量。

確かな希望を壮年部の方からもらった。

主日礼拝の後に、教会を移籍される方のあいさつを頂いた。

「2011年から5年間、よちよち歩きだった私を育てて下さり感謝します。
家から近い教会にこのたび移籍することになりましたが、
新しい場所に行くのは新しい次元になる時が来たからだ。というその一言をもって
新しい場所でさらに新しく成長をして行きたいとおもいます。」

私の母よりも少し年上ぐらいの世代の壮年部の女性メンバー。

その一言にぐっとくるものがあって、目頭が熱くなった。

小さな子が自分でもう一人でできるよと言えるくらいになるまでには
いろんな事があるように、信仰の世界でもそういうことがあると思う。

自分の子供達と同じくらいの人達を前に、
「育てて下さり」ってなかなか言えるようで言えないのではないだろうか・・・
建前がない感謝の一言に感動した。

肉体の終わりの時期をじわじわと感じる時期に、新しく成長していきます。と
確かな希望と、はっきりとした意志がこもったその一言に

あ~摂理って本当に神様が一人ひとりを大切に育てているな~って感じた。
肉体の終わりが悲しいものではなくて、
確かな希望がある事を分かって生きることがどれだけ素晴らしいものか

「内なる人は日ごとに新しくされていく。」
聖書のその一言がなされている。

家族のこと、もっと祈らなければと力をもらった。