美味しく生きる秘訣。>人生のソースの作り方

チョンミョンソク先生が教えてくれた人生をおいしく生きる秘訣。

「料理の美味しさはソースだ。
そのように味付けを美味しくして人生を生きる事だ。」

やさしい言葉だけれど奥が深い。。。
奥が深すぎて、私の人生にどのように適用させようかと
長い間、心に寝かせてしまっていたが
想定外にやまなしにUターンして実家で平日暮らす生活になってから、
この秘訣がものすごい私を助けてくれた。

私たち家族の特徴は、対話が出来ない。
デッドボールみたいな荒々しいやり取りになるのが普通だった。

味にたとえると、しょっぱい味付けばかり。

どうしたら美味しくできるのか。。。

温かな笑顔はどこから来るのか?

 

メンバーと一緒に暮らしていた時に学んだことを思い返し、
先生が教えてくれたことを思い出した。

 

私が教えてもらったことは、
神様の愛で接することに挑戦する事。
御言葉で棘とげした心を抜いて、温かい心を祈ってもらうこと。

 

父に対して、向き合うことが最初の2,3年はかさぶたはがして塩水で洗うような痛さが伴ったけれど
痛い分、祈って求めて
神様が祈る中で下さった温かさで話しかけてみた時に、
お?
と変わってきた。

祈って、優しい味付け、温かい気持ちになる言葉を考えに満たして、
その温かさが少しでも伝わるように、
繰り返し試行錯誤するなかで、春の木洩れ日的な温かさがじんわり生じてきた。

 

憎んだらサタンがくるが愛したら神様が来る。

その一言が本当に的確。

やってみて、ちょこっとだけわかってきた。
人生のソースの作り方。

 

 

苦い時、しょっぱい時、辛い時、そういう時がむしろ
人生を美味しくつくる事ができる機会なのかもしれない。

心底、神様に人生がおいしくなるソース・特性レシピを求めるしかないから。

そういうことでもっと、美味しくすべく
神様に尋ねながら創意工夫、作成中。

使命。

使命って一体。。。って思ったことありません?
わたしはあります。

摂理に来て、初期の頃何かの全体的なイベントの時に、初めてあった人から「どんな使命をされているんですか?」
と訊かれることが、ひとり2人じゃなかったので、面食らったのを今でも鮮明に覚えています。

今になれば、使命(任されている仕事)でどんな感じのことをしているのかで
どんなタイプの人なのか推測しやすいので、訊くんだろうなと理解できるけれど。。。
右も左もよくわからん、ぴよこだった当時、
日常生活で使ったことがない「使命」という単語に違和感を覚えたのです。

ある指導者の方に、「使命ってなんですか?」って尋ねてみました。

「天と近くなる道みたいなものだよ」

正直、霊的に幼子のわたしには、その比喩がよくわかりませんでした笑

 

 

私が摂理で初めて使命と言われるものをしたのは「献花」でした。
これだけずっと10年近くしてました。
(東京に住んでいた時も山梨から通うことになってからもしていました。)

毎週主日礼拝に講壇に花を生けること。
1週間祈りながら、どんな種類の花が良いか、メッセージ・想いを形にすることを
いろんな花屋さん回りながら探しました。

先生がどんなふうに神様に捧げるのかを教えてくれたから
それを持ってお祈りしながら花を探したり、生けたり
神様が喜ぶような捧げものになるように全力を尽くして一週間過ごしていました。

夏は傷みやすいから、毎日水を変えるのが必須だし、差し替える必要もあったり
冬は種類がすくなかったり高くなる傾向があったり
季節ごとの悩みがありました。

祈って探して見つけたお花屋さんだと、丁寧に長持ちさせる知恵を教えてくれたり
暑さに強い品種を教えてくれたり、
もう閉店時間だからこのバケツに入ってる薔薇全部もっていっていいよ。
と破格のサービスをしてくれたり

自分の「こうだろう」という決めつけがなくなるというか、
「無理だ」というあきらめがなくなるというか

「祈って、行なうこと」の威力を知りました。

たしかに、献花という使命を通して私は、天と近くなりました。

はたから見たら、ただ花を活けているだけでしょ?な仕事ですけれど

10分では語り尽くせない。
そのストーリーは誰からも共感や理解を得られないとしても、
私にとっては何物にも代えられない、かけがえのない天との思い出。

使命って
仕事云々というよりは、愛のイキサツってやつ。
そういうことなのかなと。私は今になってようやく、そう思います。